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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

23歳の私が怖がっていた先輩の訃報。

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先輩の訃報が届いた。 

私は23歳でDECに入社した。9歳年上のその先輩は32歳でチームリーダーだった。たまたま誕生日が同じことを知り、だから、よく覚えている。

怖い先輩だった。もちろん、新人にとっては、どの先輩もたいていは「怖い存在」なのだが、この先輩は背丈もあって、お顔も少し怖くて、だから余計に「畏怖する」対象だった。

1986年入社の新人の私。今の新人と比べて、全体的にのんびりしていた。そういう時代だったのだ。だから、時々、「することがなくて困る」という日もあった。OJT担当の2年目の先輩に「何をすればよいか」とか「手伝うことありませんか」と相談すればよかったのだろうし、相談をしたのかも知れないが、それでも、なんだか暇、と言う日がたまにあった。

ある日、私はあまりに暇だったので、「研修で配布する資料を作ろう」と思い、とてつもなく丁寧に、時間をかけて資料作成をしていた。

当時、端末はあったが(VT100です。笑)、資料作成は、ワープロで行うか(ワープロはフロアに1台で共有)、手書きで丁寧に書き、コピーして配布してた。

手書きでこんなに丁寧にすることもない、というほど丁寧にゆっくり資料を作っていた私の脇をこの9歳上のリーダーが通った。頭上から私がしていることを覗きこみ、こう尋ねた。

「田中さん、今、何やってんの?」
「し、資料を作っています」
「なんで?」
「研修で配布しようと思って・・・・」
「ふーん、で、今、それする時間?」
「・・・・」

「今何やってんの?」「なんで?」「今、それする時間?」という質問3点セットは、その後もたびたび耳にした。

「今、それする時間?」という最後の一言は、「正しい時間の使い方をしているのかな?」というプレッシャーとなって新人の私にはぐさっと心に刺さった。

「今、それをする時間じゃないよね」とか「時間を有効に使っているのかな?」というのではなく、ただただ、「今それする時間?」と尋ね、答えを訊かずに席に戻ってしまうのだ。

新人にとって、こういう問いかけは、とてつもなく恐ろしい。

このエピソードは27年経った今でも鮮明に覚えており、だから、これまでも色々なところでこのエピソードは披露した。拙著『はじめての後輩指導』(経団連出版)でも1章を割いて書いている。

でも、このエピソードを本に掲載したことも、講演やセミナーで時々話していることも、先輩は知らない。伝える術もなく、伝えることもないと思っていたからだ。

この先輩はこの出来事以外でも本当に怖い存在だった。一方で、フシギな言動もあった。

TVで吉永小百合主演の「キューポラのある街」という映画を見たそうだ。その翌日、オフィスに出社してきたら、私を捕まえて、大笑いしながら、「キューポラ小僧」と呼んだ。

何のことかわから頭、きょとんとしていると、

「昨日見た映画に田中さんにそっくりな男の子が出てきた。だから、田中さんは、”キューポラ小僧”だ」

と言う。

意味不明だが、よほどそのことが気に入ったのか、それから1週間か2週間くらいは、私のことを「キューポラ小僧」と呼び続けていたように思う。(いまだに、その男の子がどういう風貌なのかも知らない。その映画も見たことないし)

めったに人を褒めたりしない怖いリーダーだったが、そういえば、一度だけ褒められたことがある。

当時、教材は手書きかワープロ、それを入稿して、印刷会社との間で、「校正記号」を使って修正のやり取りをする、という方法をとっていた。色んな先輩が開発したテキストの原稿チェックは、新人にもできるので、しょっちゅう、「見て!」と任された。 私は目を皿のようにして原稿を見て、かなり細かい間違いや用語ブレを発見した。

リーダーは、「田中さんって、重箱つつき女だね。」と言った。

「それ、悪口ですか?」と尋ねると、「違うよ、褒めているんだよ。こんなに重箱の隅をつつくような細かいことに気付くって、田中さんの特長でしょう。」

今度は、しばらく「重箱つつき女」と呼ばれた。 キューポラ小僧から昇格したのか? わからない。

昨日、人づてに訃報を聞いた。

ずっと忘れていた「キューポラ小僧」と呼ばれたことや、「今それする時間?」と突っ込まれたこと、「重箱つつき女」と呼ばれたこと。ほかにもいくつかのエピソードがわーっと蘇ってきた。

何度も何度もあちこちで語っているけれど、私は、本当に落ちこぼれのダメダメ新人だった。新人研修でも成績がどん尻過ぎたし、配属されても何やってるんだか理解するのに何か月もかかった。コンピュータ技術を教えるインストラクタとして採用され、配属されたのに、いつまでもその「コンピュータ技術」が理解できず、その上、プレゼンも下手だった。

特に仲良かったわけでもないのだが、こんな風に色んな出来事を思い出すにつれ、彼は彼なりに、ダメダメ新人の私を可愛がってくれていたのかも知れない、と今は思う。

新人の時はお世話になりました。すぐ辞めそうNo.1だった私が同期の誰よりも長く同じ場所で頑張っています。もう27年目ですよ。新人時代、本当にお世話になりました。

遠くの空に向かってただ合掌。

【エピソードを書いたことは知らせないまま・・・:亡き先輩に捧ぐ】

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