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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

心の「師匠」

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「若手を育てる」について、どんなアプローチが今の時代ならふさわしいのかな?なんてことをつらつら考えている内に、若手を育てている側の成長はどうなんだろう?と思うようになってきた。

30代40代50代・・・あるいは60代、70代・・・。
自分より年下の世代にいろいろ言っているけれど、そういう自分たちは成長しているか、というようなこと。

わが身を振りかえってみると、もちろん、自分よりも年若い後輩たちから学ぶこともあるけれど、やはり、年長者に教えを乞うたり、叱られてしょぼんとしたり、激励されたり、思いもよらぬ考えを伝授されたり、ということのほうが多い。

ザンネンながら、職場に私以上の年齢の人はもはや数えるほどしかいない。
(というより、今の携わっている分野の仕事は自分で立ち上げたので、その分野に関しては最初から私より年長者、先輩はいなかった。)

さてさて、こういう時、頼りになるのは、社外の方たち。

もう20年以上前からずっと私が「心の師匠」と呼んでいる先輩もいるし、この数年、いろんなきっかけで出会った多くの師匠がいる。(Twitterきっかけという方も何人かいらっしゃる(笑))


なぜか、全員男性(+年長者)なのだけれども(女性と知り合うきっかけが少ないのかなあ?)、お話していて、

「おお、そういう考え方は持っていなかった」
「そうか、確かにそうだよね」
「どうもスミマセン、それは私が間違ってました」
「間接的に苦言を呈しているけれど、実は、私に対して発してくれているメッセージだろう」
「なるほど。そういう見方をすればいいのか」

と、目からうろこが落ちることが多い。

歳を重ねるごとに、自分が偏屈になっていくのはある程度自覚している。

「これは、こーゆうもんだ」
「こーゆうときは、こーするもんだ」
「こんな時は、こー振る舞うもんだ」

そうやって、「もんだ」教の教祖のようになってしまう。

もちろん、年若い後輩たちは、そういえば、「そうですよねぇ」「なるほど」とたいていは聞いてくれるけれど、その「もんだ」を私が「心の師匠」に語ってみれば、

「淳子さん、それは、こーゆう考えもあるんじゃないかなあ」
「淳子さん、それもあるけど、こういう風に行動するてもあるとも思うよ」

とやんわりと指摘してくださることも多い。

「もんだ」が唯一無二ではないことや、「もんだ」以外にもたくさんの考え方、行動の選択肢があることも、そうやって師匠たちに教えられる。

いや、先方は教えているつもりなどないのかも知れない。
ただ、感想を述べてくださっているだけ、かも。

私の「もんだ」を見直したり、「もんだ」じゃないことを教えてくださったりする貴重な存在。

心の「師匠」。

いつまでも友達でいてください。

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