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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

体のパーツが存在感を消していたらオッケー。

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6月初旬、大阪出張した夜から喉に異変を感じ、喉が痛いというだけの風邪をひきました。病院に行って抗生剤なども処方され、通常なら3日くらいで治るところが、そこから3週間、まさに21間、ずっと喉が痛く、えへんえへん、と咳しては威張りまくっていました。

この間の関心事は、ひたすら「喉がいたい」「喉が気になる」であって、「どこかに喉売ってないかな」「喉だけカセット式になっていてバコっと外して、ガチャっとはめ込めたらいいのにな」ということでした。

長かった風邪も時間薬で癒えたのか、喉が存在感を消した時、ようやく、身体への関心がなくなりました。

亡くなった祖母が「身体のどこかが”存在する”ことを意識する時は体調が悪い。身体のどこも存在感を発揮しないのが健康な証拠」ってなことを言ってました。(祖母じゃなかったかな?誰だったかな?ご先祖様のだれかだったと思う・・・。だんだん自信なくなってきました)

頭が痛い!という時は、「そういえば、私には頭というものがあったな」と頭の存在感を認識する。

歯が痛い!歯が痛い!という時は、「口の中には歯がいっぱいあったな」と歯の存在を思い出す。

胃が痛い!という時は、「そういえば、胃というものがあったな」と胃の存在を意識せざるを得なくなる。

そんな風に「存在感」をびしばし味わう時は、そのパーツが不調ということの証なんだと。
(もちろん、自覚症状のない病もあるので、存在感がなくても、不調、というケースはありますが)

・・・・・

さて、喉が治って、普段の状態に復調し、すこぶる気分がいい土曜日。

身体のパーツは一つも自己主張をしていません。

そんな健康に感謝して、新しい年度のスタートです。(勤務先は7/1が新FYの始まりです)

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