「良かれとおもって」の一方的なアドバイスはなくていい
今朝も早めに起きてしまった。意外と、ダメージは大きいのだな。朝まで深く眠りたい。もっとも、昼間にあったかいコタツでうたた寝するのも、それはそれで気持ちがいいのだけれど。
さて、ボクの知人にすばらしいアーティストSさんがいる。
ボクは絵心がないので、詳しくはよくわからないのだけれど、それでも、すばらしいものはすばらしいと素人目でもわかる。Sさんの作品はすごい。
でも、まだ世の中にはそれほど広まっていないのかな。いや、きっと知る人は知っているはずだ。
そんなSさんに、ボクは、おこがましいと思いながらも「こうするといいよ」と何か(アドバイスとか)を伝えるべきか、伝えるべきではないかで悩んでいる。
人のアドバイスというのは、往々にして実行されないものである。ボク自身もそうだ。「こうしたらいいんじゃないか」と、アドバイスをもらうことはあっても、自分が乗り気でないことは......いや、ちがう。「それはいいな!すばらしいアドバイスをありがとう!」と思うアドバイスであっても、「良かれとおもって」の一方的なアドバイスは実行されることがほとんどない。
なぜか?自分の内面から「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」となったものではないからであろう。
動機づけには、2つのタイプがある。
一つは、外的動機づけ。外的な要因(指摘、アドバイスのような)――つまり、自分の外からもたらされたことによって動機づけられるものだ。
もう一つは、内的動機づけ。内的な要因――つまり、自分の内側から生じた動機づけだ。
どちらも動機づけには変わりないから、どちらが良い、悪いというものではない。けれども、行動につながるのは、「〇〇したほうがいい」という外的な力によって生じた外的動機づけよりも、何かしらの気づきや発見によって「〇〇しよう」「〇〇したい」「〇〇しなきゃ」という内的な創発によって生じた内的動機づけのほうが、長く続くことのほうが多いみたい。
ここまで書いて......決めた。何かを伝えるのはやめよう。一方的なアドバイスはなくていい。ボクの商いじゃないし。もちろん、うまく行ってほしいと願っているけれど。
必要はものは、必要なタイミングでもたらされるものである。
でも、もし、何かを求められたときは、できうる限りのことはしよう。それが、どこまで有効に働くかは分からないけれど、少しでも良いアドバイスできるように、ボクも実践を重ねておきたいと思う。
こうして、言葉にしてみて、もっとも大切なことに気づけた。よかった。