組織にとらわれない働き方とは
人工知能などの技術の進展やその他社会情勢、環境の変化によって、我々の働き方も変化していくだろうと予測される。そんな中、「働き方改革」、「ワーク・ライフ・バランス」というキーワードにして、様々な人、組織が模索している。
具体的に、働き方として下記のような点が変わると言われている。
- 時間や空間に縛られない働き方
- 組織にとらわれない働き方
- 働く人が働くスタイルを選択する働き方
- 介護や子育てが制約にならない働き方 .etc
時間や空間に縛られない働き方は、主に技術の進歩によるものが大きい。産業革命後の働き方を思い返すと、毎朝同じ時間に機械を動かしはじめ、その機械の動きに合わせて人が働く、機械を止めれば人も休む、終わる。人は機械を動かしはじめる時間に一斉に機械の場所に集まり、止める時間に終わり、一斉に帰宅する。機械の場所に集まり、時間を共有する、働くこととはその個々人の時間と場所を拘束することであったと考えても良い。しかしながら、自動化していくことによって、必ずしも人が機械のそばにいる必要がなくなった。其れだけでなくICTの進歩によりインタネットを通じてコミュニケーションが可能となった。さらに、インタネットを通じて協業作業を行うことも可能になった。このような技術の進展から、自然と、「働くこと=時間と空間の拘束」が崩れつつあるのだ。そうなれば、これまで報酬が主に拘束時間・場所について支払われるモデルも崩れていく。
では何について報酬が支払われるのが自然になるか、成果、目標の達成によって報酬が支払われるモデルに変わっていくはずだ。このように書くと、将来の働き方が全て成果主義になるのかと思われるかもしれないが、そこはバランスである。ある成果、目標を達成するためには、場合によっては、どれだけICTの進歩したとはいえ、時間の拘束、場所の拘束は避けられない場合がある。なので、全てが全てそうなるわけではない。
このように時間・空間拘束の報酬型から成果・目標の達成度合いによる報酬型に変化することにより、働き方にバリエーションが出てくるはずである。時間と空間の制約が少なくなるはずだからである。
ただ、これだけでは、「働く人が働くスタイルを選択する働き方」、「介護や子育てが制約にならない働き方」には、すぐには移れない。成果・目標をどのように設定するかについてのバリエーションを許さないとならない。
産業革命後の働き方をもう一度考えると、時間・空間拘束の報酬型であったが、その拘束の度合いが誰もがだいたい同じになるように設計されていた。同じ時間・空間を共有しあって仕事をするわけだ。誰もが同じ時間、同じ場所でが基本だ(もちろん残業という概念はある)。そうなると誰もが働くということに対してだいたい同じだけの時間と空間の拘束をされている、さらに誰もがその業務を達成できるように設計され、ほぼ全員が同じ労力を払っていると考えてもいい。
この考え方のまま、成果・目標の達成度合いによる報酬型に変化すると、成果・目的の種類は違えど、誰もが同じ量の達成度を求められることになりかねない。これは究極的には誰もがフルコミット、フルスイングすることが最適になってしまう。
ただし、能力を有効的に使う、知識を活用するという観点では議論する余地がある。その人それぞれが許容できる成果・目標を持てる環境というのが重要となる。許容できる成果・目標というのは、その人の能力や得意だけでなく、様々な制約などもあるだろう。企業側が多様な成果・目標を許さないと変わらないのだ。これは少子化、高齢化による労働人口の確保が難しくなる今後、考えていかなれければならないことだ。ここがクリアできてはじめて、「働く人が働くスタイルを選択する働き方」、「介護や子育てが制約にならない働き方」に移行できる。
ここまででまだ言及していないのが、「組織にとらわれない働き方」である。「働き方改革」や「ワーク・ライフ・バランス」の文脈でよく語れるが、上記のストーリーとは何か当てはまらないところがある。
もちろん、「組織に属しない」フリーランスであれば、時間、場所、人間関係、組織論理などの制約をある意味なくすことができるいう点では、上記の話の内容に近いと考えられる。
「組織にとらわれない働き方」は、技術の進歩のスピードの速さに追いつくための新しいチーミングのあり方なのかもしれません。これまでも、会社など組織で、新たなモノを構築することが必要になった場合、最適な人を選んでチーミングをするだろう。その際、それを達成するために必要な技術が不足していた場合、社内で研究、開発を行い、自前で達成することが多かったかもしれない。こうやって構築された新たなモノは会社にとって、新たな武器になっていく。しかしながら、昨今の技術の進歩のスピードとそれによるニーズの移り変わりを考えると、自前で全て達成することが時間と労力の足かせになってしまうのだ。その前に、社内外で得意な人を探して、チーミングをしたほうが達成が早くなる。これを働く側から考えれば、自分の得意を生かして、その達成目標に応じて、様々なチームに参画していくことになる。
ここで次の点にふと気がつく。
- 自らがスペシャリストでないとならない
- 様々なチームに参加の人脈を自ら確保しなければならない
- 自分を見つけてもらうために自らのブランディングをし、アピールしなければならない
- 自らの専門をコンテクストに応じて、適用、更新していかなければならない
「組織にとらわれない働き方」をしていくためには、誰よりも必要とされる「何か」を持っている必要がある。ジェネラリストとスペシャリストという言葉があるが、どちらかというとスペシャリストである必要があるわけだ。広く浅い知識を持ち仕事を推進をしてきたジェネラリストというのは多くの分野や技能を持っているので、知識や技能が陳腐化して欠けたとしても生き残れるというリスクヘッジがあった。これは組織に属している場合、どんな要件にも満たす人材であることから重宝された、つまり仕事ができる場所を与えられやすかったわけだ。つまり、組織にいれば、役割を与えてくれる。しかしながら、広く浅い知識というのは「組織にとらわれない働き方」が進んだ環境には馴染まない。自ら活躍の場を見つけたり、必要とされたりしなければならないのだ。そのためには、他の人よりも尖った「何か」が必要なのだ。広く浅い知識は時にはデジタル化されたデータの前に沈んでしまう。インタネット上のコンテンツで最新の情報を入手できるため、検索を駆使し、調べ尽せば、誰もがある程度の情報屋になることができる。さらに、データサイエンティストによってデータに基づく分析が盛んになれば、自分が持っている根拠のない勘以上のインサイトを与えてくれるかもしれない。これらに負けない専門性というのが重要となってくるのだ。
また、組織にいれば役割を与えてくれるが、「組織にとらわれない働き方」の場合、自ら活躍の場を探し出さないといけない。そのためには様々な人脈を持っている必要があるのだ。これに関しては、SNSが今後も重要な役割を果たしてくれる可能性がある。
そして、誰かに指名してもらうために、自らをブランディングし、アピールしなければならない。ちょっとしたナルシストになる必要もあるかもしれない。
ここで、自らをブランディングするというところに着目してみよう。誰かに見つけてもらうためのブランディングだ。どこに属しているよりも何をしたかが重要となる。実はこれは奇しくも昨今のマーケティング分野を中心とした、ビッグデータ分析、人工知能技術とかぶってくる。
これまで人を判断するために「属性」が重要であった。年齢、男女、職業など。例えば、20代で女性の人はXXXを購入するだろうといった具合だ。でもよく考えて欲しい。20代女性でもいろんな人がいるのだ。たとえ、属性をどれだけ細かくしようと、この問題は巡る。ここでその人が何をやったのかという「行動」に着目してみよう。例えば、YYYをした人はZZZする可能性が高い。その人の行動そのものに着目しているので、YYYとZZZが共起すればするほど真に近づくだろう。このようなことから、昨今のマーケティングなどのデータ分析においては、「属性データ」よりも「行動データ」と言われている。
それと同じだ。ある目的を実現する人材が必要な時に、「XXに属している」よりも「YYをしたことがある」の方が適材である可能性が高くなるはずだ。自らをブランディングするにおいては、今後、「属性データ」よりも「行動データ」が重要となる。自らの行動・経験に基づいたブランディングだ。実はやってみると結構難しい。
さらに、自らの専門をコンテクストに応じて、適用、更新していかなければならない。組織に属している時と比べて、様々な人々、チームと接することとなる。ただ自分の専門性をアピールするのではなく、どうしたら、その人々、チームに対して自分の専門性を使うことによって貢献できるかを考える能力が必要となる。コンテクストに自分の専門を当てはめるということだ。さらに、コンテクストに当てはめた専門が少しずつ変化していっても構わない。それによって、自らの専門性の陳腐化を防ぐこともできるはずだ。
このように「組織にとらわれない働き方」を自ら求めるのであるならば、スペシャリストを目指し、人脈を作り、自らブランディングし、様々なチームに参加することで自らも高めていく努力を常にしていく必要があることがわかる。
偉そうなことを書いたが、非常に難しいのだ。