絶対的なヒーロー・ヒロインなんていない
ネットワーク社会という言葉を聞くと何を思い出すでしょうか。
我々はいつでもどこでもネットワークに繋がって生活しています。物理的な話ではないですよ。コミュニケーションを取っているのです。このコミュニケーションというのがポイントで、もちろん直接会って話す方がコミュニケーションの質、量が高いのですが、現在のネットワーク社会では、コミュニケーションの量が質を凌駕しています。
量が質を凌駕する、ひと昔前のビッグデータの売り文句でした。
直接会った方がよくその人のことが分かることは確かです。しかし、時間との関係を考えると網羅性は乏しくなります。ネットワーク社会では、いつでもどこでも誰とでもコミュニケーションができます。浅いコミュニケーションを様々な人とすることができるのです。
新たなコミュニケーションの時代が来ていることは確かです。良い意味でも、悪い意味でも。
コミュニケーションをしすぎているという言い方をしてもいいのかもしれません。
放課後や会社終わりに手を振って帰った後、これだけ自宅で誰かと話ができる時代を予想しただろうか。学校の友達と家でSNSなどで会話する、すこし嫌なことを交わす、明日学校行きたくないというストーリーも考えられます。これは非常に浅く速いスピードでコミュニケーションを交わしているということになります。一晩でその人間関係を変えてしまうわけですから。
このようなネットワーク社会では必ずスケールフリーネットワークとなります。このスケールフリーネットワークとは、あなたは私よりも何かを知っている、私はあなたよりも何かを知っているという関係が成り立っているネットワークを指します。どういう意味か、もう少し具体的に言えば、本記事の読者は、小職より何かしら良く知っていることの方が多いと思います。それは普通でしょう。でも、小職も本記事の読者より、何かしら良く知っているはずなのです。
何かしらというのが大切で、それぞれの人がコンテクストを作り上げたとき、そのコンテクストで強いハブになる可能性があるのです。ハブとは、情報をたくさんの場所へ流す人のことを指します。これまで、情報をたくさんの場所へ流す人は、マスメディアと呼ばれるものでした。しかしこれからは、誰かわからないのです。小職かもしれませんし、あなたかもしれません。
あるコンテクストによっては、ヒーロー、ヒロインはあなたになる可能性を秘めているのです。