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戦後60年と情報社会

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戦後の60年間は、コンピュータが商用化されて、社会のインフラとなるまでに浸透していった時代と重なります。

日本で初めて「電子」という名前のついた組織が誕生したのは、1954年7月に通産省工業技術院電気試験所(産業総合研究所の前身)に設置された「電子部」だったそうです。同組織と電電公社(NTTの前身)電気通信研究所が国産コンピュータ開発の拠点となりました。そこから数えても半世紀が過ぎました。

技術の変化がどんなに激しくても社会や人間はあまり変わらないものだなあ、と感じることはしばしばありますよね。しかし、さすがに60年もたてば社会を構成する人間が入れ替わるので、時代や社会は大きく変わるのだという説があります。

確かにそうなのかもしれません。大規模なリストラをしたはずの会社がすぐに新人の大量採用に踏み切ることがあって、それなら人員削減などしなければいいのにと思うのですが、経営者にとってみれば従業員を入れ替えたかったのでしょうね。まさに、人が変われば会社も変わる、というわけです。

ただ、あわてて変化を追い求めてもロクなことはないと私自身も反省しきりですが、60年という時間の流れにともなう変化は、とてもゆっくりだけれど、人間の自然な世代交代を背景にしているだけあって、根本的かつ大規模な社会変化となる可能性を否定できません。(古今東西、人間の本性はあまり大きく変わらないのかもしれませんが・・・)

「わが国を含め世界の先進社会は、今日、情報化社会の扉を叩こうとしている。」

1969年の産業構造審議会答申によって、日本国家は情報政策に本格的に着手することを宣言しました。これは、その冒頭の一文です。

昨年、情報政策史の調査で多くの方々にインタビューにご協力いただいたのですが、お会いした当時の通産省の政策担当者はみなこの文章を記憶にとどめていました。というのは、本当に情報なんかで国が食べていけるのかと疑心暗鬼だった時代に、かなり思い切った表現の書き出しになったからです。

それから36年がたった現在、ようやく情報社会の扉は大きく開かれ、私たちはその入口に立っているように感じます。

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