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モバイルシフトとソーシャル化によって変化するネットの世界を、読者と一緒に探検するBlogです。

Facebookが捨てた”排他性”を拾うのは誰?

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映画『ソーシャルネットワーク』を見れば分かるように、Faceboookは最初はハーバード大学専用のSNSとしてデビューした。
作中何度もでてくる重要なキーワードが「排他性」。誰もが入れる開かれたコミュニティではなく、資格が必要である、という高飛車な態度が実はキモなのだった。

映画の中ではボストン大学に通う元恋人がFacebookのことを知らないことに傷ついたマーク・ザッカーバーグが、他の大学にも広げてやる!と思いついて、やがて大学生専用のSNSへと拡大するという展開。ただ、同時期にたくさん生まれた大学専用コミュニティ達の中で、マークはアイビーリーグに代表される、比較的エリート校を中心に攻めたことが勝因につながったらしい。ここでもやはり、エリート大学生という排他性が効いている。


やがてFacebookは他の英語圏にも広がるけれど、大学生相手だと限りがあるので、高校生にも範囲を広げ、やがてはビジネスマンにも門戸が開かれて現在に至る。つまり、拡大するために最も重要だった排他性というコンセプトを捨てて、実名主義だったり世界全体をネットでつなぐというお題目をミッションにすることでサービス自体が変質してきているというわけだ。

だから、一気に巨大化するにしたがって、FacebookはビジネスSNSのニュアンスが強くなってきて、大学生にとっても。楽しいからやるというよりも”オトナ”とのコネ作りのために使う、という感じになってしまったというわけだ。

いま僕はリボルバーでRevolverというコミュニティプラットフォームを開発・提供しているのだが、自分たちでメディアもしくはコミュニティを運営するということはしていない。今後もするつもりはない。なぜかというと、Facebookの轍を踏みたくないからだ。
僕たちはコミュニティを運営したい人たち、運営する必然性と適正を持っている人たちにRevolverを提供し、コミュニティを作ってもらう。現時点のクライアントは若手アーティストが多いのだが、結果として女子のユーザーが多く、しかも14-24歳が中心層だ。僕には到底彼女達と同じコンテンツを楽しむことはできないが、アーティストに代表されるコンテンツホルダーたちがファンと直接交流する場を安全かつ安定的に提供することはこれからも可能だと思っている。

つまり、リボルバーがコミュニティプラットフォームの提供者という立ち位置をとっているのは、今後数年〜数十年にわたっても古びず、エッジィなサービスとして存続するための基本戦略なのである。

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