MS 古川CTO退陣にふれて思うこと。
6月10日のITmedia記事にもありますが、マイクロソフトの古川享CTOが同社を退職されました。このニュースを聞いて、つらつらと思いふけったことをエントリーします。
外資系の日本法人のトップが最近続々と退任し、外国人に切り替わっていますが、古川さんのそれは、少々重みが違います。彼は米国マイクロソフトの副社長(日本で言う副社長は社長の次、ですが、米国でいうVP=Vice Presidentは副社長というよりは、担当事業部長くらいの地位です。それでも日本人がMSのVPということはかなり高い地位)であり、その彼が退陣するということは、MSにとって日本市場をハンドルする人間が日本人である必要が無い、と判断したことの証左であると考えます。
ソニーのCEOが英国人になったことや、日産がゴーンさんの力で立て直されたことでも分かりますが、日本はもうグローバル市場の一部なんですね。つまり、これまでは日本市場や日本人消費者の嗜好は世界市場の標準とは異なっていて特殊だから、経営は日本人でないとダメ、という常識がまかりとおっていたわけです。しかし、いわゆる経済のグローバル化が進み、会計基準も世界標準に合わせることが当然になってきた現在、嗜好の相違は”想定の範囲内”であり、トップの資質は市場にFitしていることよりも、純粋に戦略への理解やリーダーシップの有無が重要、と素直に言い切れる時代になったということです。
古川さんのみならず、これまでの日本人トップは、日本人であるがゆえにその地位を保持できましたが、今後はそのアドバンテージをカウントしてもらえない、というわけですね。
また、技術面でも同じことが言えます。Mac OSでもWindowsでも、最近は英語版をローカライズするというよりも、最初から他言語対応で設計しています。つまり、日本語版も英語版も同じものなのです。(違うのはライセンスの形態とマニュアル、パッケージくらい)
製品が同じだから、例えば日本の市場で別に作り込む必要もない、ということになり、これが経営者の人種や国籍を問わない、一つの理由になっていると考えます。
今後は、日本人であるという固有のアイデンティティは捨てていかないと、外資あるいは外国の企業で出世を目指すことは相当難しくなりますね。