オルタナティブ・ブログ > 熊谷修司の最高のチームを創る >

組織、マネジメントの理論とその実践を、スポーツ・学校を通して考える。

部活動を考える・・・1

»

教員になって10年目、異動があり新たな職場での勤務が始まった。担当になった部はサッカー部。サッカーはやったことも指導したこともなかった。当時のサッカー部は「最もだらしがない」と教員間で言われ、それを担当したいという教員は誰もいなかった。そんな中、何も事情の知らない自分がサッカー部の担当になった。管理職からは部を担当することについて何の打診もなく、唐突に職員会議で決定事項として連絡された。「こんな決め方があっていいのか」と憤慨した。いきなりサッカー部の監督になってしまった。部活動のブラック問題が議論され始めたのは、ほんの最近のこと。今から30年ほど前では、どこの学校でも同じような状況だったと思われる。

サッカーを知らない教員がサッカー部を担当するとどうなるか。部員からは馬鹿にされる。当たり前のことを言っても反発される。教員からは「サッカー部の生徒の指導はどうなってるんだ」と批判・非難される。「サッカー部の生徒である前に、あなたのクラスの生徒でしょ」と言いたい気持ちを何度も飲み込んだ。

自分にできることは練習の準備や後片付け。黙って練習を見ることだけだった。試合に負けるたびに生徒は「いい監督が来ないと勝てない」と言った。何度もサッカー部の担当を降りたいと思ったが、「サッカー部を持とう」と手を上げる教員はいなかった。「大変だね、一緒にサッカー部を持つよ」と言ってくれる教員もいなかった。孤立無縁だった。土曜も日曜もなく練習や試合に追われた。病気で入院している弟のお見舞いにも満足に行けなかった。「こんなことがあっていいのか」と思いつつ「自分しかいない」と自分に言い聞かせる毎日だった。今思うと、自分は最悪の環境で部活を持っていたのだ。同僚や管理職から何のサポートもなく。部活動は教員のボランティア精神と自己犠牲の上に成り立っていたのだ。今は「こんなことはあってはならない」と強く思う。

Comment(0)