高校野球の視点で日本ハムの野球を見ると
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前回に続き、日本ハムのプレーについての見解
2009年の巨人と日ハムの日本シリーズを高校野球で例えると、お金もあり有望選手がたくさん集まる強豪私学対「努力と全力」の地方の公立校のような戦い。
プロ野球の帝京対佐賀北
日ハムの「つなぎの野球」と稲葉選手に代表される「全力疾走」はまさに高校野球だし、東京という中心と地方の周縁という、地域性のコントラスト。
当時、日ハムは「大人がやってる高校野球」だった。最後まであきらめない。だから9回に大逆転がおきていた。日ハム応援団のマナーのよさも高校野球的。高校野球は絶対に野次らない。
日本ハムは大人が高校野球をやっていた。だから愛された。内野ゴロでも一生懸命走っていた。高校生の見本になるプレーをしてくれた。
それが、いつからか走れなく、走らなくなった。「大人がオヤジの野球」をやりだした。勝てるわけがない。一生懸命走って勝ってきたチームが、走るのをやめた。スタイルがなくなると弱くなるのはスポーツの鉄則。
栗山監督一年目は「努力と全力」の貯金が残っていたが、今シーズンはそれを使い果たした。
走姿映心・・・基本はここ
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