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ビジネスモバイルITベンチャー実録【朝メール】から抜粋します

3年後の自分は騙せない

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おはようございます。

昨日の朝、東京に向かう新幹線の中でのエッセイです。

===ほぼ毎朝エッセー===

昨日のCさんのDRにありました。

「Tさんのメンションきっかけで私が 3 年半前に書いたチケットを見ました。自画自賛ではありますが、きれいに情報をまとめてあって驚きました。今のチケットの書き方を見直す良い機会となりました」と。

これを読んでふと思い出したのです。「基準を3年後の自分に置くとやはりいいのだよな」と。

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「これでいいのか?」

どれだけ仕事ができる人でも、明るく活躍している人でも、このように思う瞬間があります。

仕事にマンネリ感を覚えるからなのでしょう。これは誰にでもある問題です。一見他から華やかに見える仕事でも、その裏には地味な膨大な見えない作業が隠れています。その地味な見えない作業に「これでいいのか?」と感じてしまうものなのですね。

あるいは、明らかに手を抜いている先輩がいたりして、その人が自分より役職が上。なんだか理不尽に思えますよね。そこで、自分も一生懸命にやっているのが馬鹿らしくなる。そして先輩の真似をして手を抜いたりしたとします。

実際に自分も20代の頃、入社3年ほどの頃でしょうか。一心不乱に仕事をしていたことが、ふと馬鹿らしくなってしまい、手を抜いたことがあるのですね。

成果を出しているはずなのに、それがその時の昇進や昇給に結び付くわけではない。なんだかまじめにやっていることが馬鹿らしくなってしまったのです。実際に仕事でも手を抜きました。そして、3年後にそのしっぺ返しを受けました。ある大切なお客様を競合に取られてしまったのですね。

その時に、「神様は見ているのだな」と思いました。

でも、その時にこうも思ったのです。「別に神様のために仕事をしているわけでもないよな」と。そして、いったい誰のために仕事をしているのかを考え直してみたのです。気が付きました。「3年後の自分のため」なのだと。

3年後の自分は今の自分を明確に覚えている。そして、3年後の自分は今の自分から騙せません。その時以来、判断に困ったときや、怠けたいときに、3年後の自分から見て今の自分が恥ずかしくないか、そういう基準で判断をするようにしたのですね。もちろん、休息や充電も必要です。そのすべてが3年後の自分にはお見通しなわけです。

3年後の自分に恥ずかしくない仕事をする。

これって、なかなかいい判断材料だと思います。

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