松葉杖生活が教えてくれたこと
おはようございます。
曇り空の朝です。
===ほぼ毎朝エッセー===
□□「松葉杖生活が教えてくれたこと」
毎週金曜日恒例のグループリーダーエッセー、今朝はCACHATTOサポートセンター長のGucciさんから。
以下引用=====>
最近、特に調子が悪い朝の田園都市線。
2週間ほど前のその日は、停止とのろのろ運転を繰り返し、到着がいつになるか分からない厳しい状況でした。そんな中、溝の口駅で目の前の客が降り「ラッキー!」と座ったのも束の間、斜め前に立っている女性の妊娠バッチ(マタニティマーク)に気づきました。心なしか立っているのが辛そうにも見えます。彼女の正面に座る男性は寝ています。さて、この状況であなたならどうしますか?
電車の席譲り問題に興味を持ったきっかけは、三年前の肉離れによる松葉杖生活でした。自分が、身体に障害がある立場になってみて、普段見えない光景が見えてきました。
たとえシルバーシートの前に松葉杖で立っていても、席を譲ってくれないことがとても多いのです。そして、運よく座れたシルバーシートから周囲を観察してみると、妊娠バッチや杖を突き苦痛の表情で立っている方が多くいることに気づき愕然としました。
シルバーシートに座る人は、寝込んだり、スマホに集中しており周囲を全く気にしていません。(注:身体に障害があり席を必要とするが、外見からは判別できない人もいます)
なんだか悲しい世の中だな。。と悲観し始めていたある週末、家族で近所のファミリーレストランへ行きました。そこは地元の人気店で、多くの家族が入口付近で待っています。「これは大変だなぁ。車の中で待っていようかな」と思いながら、ドアを開けて中に入ると意外なことが起きました。イスに腰掛けていた大人達が一斉に立ちあがり笑顔で「どうぞ座ってください」と席を勧めてくれたのです。
この出来事で気づきました。ストレスフルな満員の通勤電車と違い、休日に家族と行くファミリーレストランでは皆、心に余裕があります。その状況であれば、気軽に席を譲ることもできる。つまり、余裕の有無が席譲り問題に影響しているのではないかと。子供の前では素敵な大人でありたいですし。
そしてこの席譲り問題は、席譲りに止まらず「自分に余裕がない時、自分より辛いであろう人に手を差し伸べられるか?」という大きなテーマにたどり着いてしまいました。
私自身は、電車で席を譲らない人を非難することはできません。
自分に余裕がない様々な場面で、極めて弱くなってしまうことを良く知っているからです。なので、せめてそのことに気付いた時には、チャレンジするようにしています。
冒頭のシーンでは一瞬躊躇したものの、無事に妊婦さんに席を譲ることができました。まあ、うまくいかないことも多いですが、チャレンジし続けるしかないと思っています。
以上、あの辛かった肉離れにも確かな意味が潜んでいた。というお話でした。
因みに、今は肉離れになっても、西新井の飯島先生がいるので残念ながら松葉杖生活はできません(笑)
<=====以上引用終わり
その通りだと思います。
愛情とお金が足りないと人は餓鬼になり、余裕があると他人に分けられる。
では、愛情が満ち足りるにはどうすればいいか?
それにはなるべく多くの「ありがとう」を「笑顔」で発信する。
すると「ありがとう」や人への施しがその周りで連鎖を始める。
そして何よりも「ありがとう」と「笑顔」の発信コストはゼロ。
心の持ち方だけ。錬金術ならぬ錬愛術です。
PS:西新井の飯島整復院、会計検査院のDさんも、「何をしてもダメだった酷い腰痛が驚くほどすんなりと消えていきました」と感激していました。