サヤを抜くのは健全な行為なのだ
商売の基本は「安く仕入れて高く売る」。これに尽きます。マージンは多ければ多いほどよろしい。ただし顧客が深く満足する限りにおいて…。そういうことですよね?
昔、西安の雑踏かどこかで、何と言うこともない価格で仕入れた絹の布を、らくだの背に乗せてはるばるはるばる運んで、ヨーロッパの端っこのバザールで広げて見せて、100倍ぐらいの値段で売るということがたぶん行われていたわけです。その運搬にかかるリスクや手間隙と、絶望的な供給量の少なさを考え合わせると、価格は100倍でも150倍でもいいわけです。顧客がいる限りは。200倍はやりすぎだろうけど。
個人的にそういうシンプルな商売の原理がものすごく好きです。誰も売っていないものを、顧客を深く満足させつつ、非常に高価な値段で売る…。その図式のなかに、深く長く染み渡る滋味のようなものを感じてしまうというのが私です。根が商売人なのでしょうか?
過去長きにわたって、その商売人感覚を使って何かを書いたり、何かの報告を行ったりしてきたのですが、いつしか「やっぱり自分で商売せにゃならん」と思うようになり、準備を始めてから半年ぐらいになります。
計画段階ながらそろばん勘定もするようになり、儲けの勘所をぎゅーっとやったりしているのが、やはりひどく楽しいです。やはり商売人なんですかね。
そういうことをしていて思うのは、なぜみんな同じ領域で同じ顧客を相手に似たようなものを売るのかということです。それだと利益があまり出ないじゃん、と思ってしまいます。例がでかいですが、携帯電話の製造販売がいい例ですね。利益率が低いのはみんなで同じことをやっているからです。
自分は商売人なので(へそまがりでもある)、そうした素朴な考えを大事にしつつ、あまり類例がない領域であまり前例がない商品を売りたいと考えています。市場がなかったりすると最高です。自分が思い描いた形で新しい市場を演出することができます。
出資してくださる可能性のある方々へのご説明行脚がまだまだ続きます。ここにいる商売人はまず、自分の考えを売るところから始めなければなりません。