ピッツバーグエアポートテスト(2)とセカンドライフ
ピッツバーグエアポートテストと呼ばれる面接試験などで何かを試すテストがあるそうだ。
「あなたとあなたのインタビュアーが吹雪の間、ピッツバーグの空港で足止めされると想像してください。あなたはこの人と時間を過ごすと考えようとして
a)きついので見つけられないように離れている
b)カフェで一緒に何か飲んで早く良くなるように話し込む
c)話してみると非常に楽しい人であるので、暫く雪が降ることを止まないよう望む
この3択に正直に答えるのだが、確か正解はCだったようだ。何を試しているか、正解が何を意味しているかは専門外なので別として、c)みたいになれたら最も幸せなのは間違いない。
これはweb検索でとても心地の良いブログに出会えたような心地に似ていると思う。もしくは書店で何気なく見た本に大きな感動をおぼえられた時のようなのだろうか。
このテストの話を聞いた切っ掛けがアメリカのコンサルタントとの米国と日本とのビジネス環境の違いや国際競争の考え方の違いといったところだった。ネットワーク社会の推進により、あちらではより企業を超えた人的つながりが重要視されている。何かの偶然で深く知り合った人と人が共鳴するといったことはイノベーションを生み出す重要なケースである。それをこのようなソフトなテストに置き換えていることが印象的であった。
以下余談になるが、日本人である私にはピッツバーグの空港が雪で足止めされるいうこと、その気分が実際には解らないのだ。
たとえば外国人に「あの朝の東海道線の混み具合」といっても決して解らないだろう
「私は海外での勤務もあり英語で仕事もするが、Jokeは理解できていない」ということだ。
このようなゲマインシャフトの違いというか、育ちの違いということは思考や笑いという要素に決定的に大きな差異を作っており、それは努力では埋められないタチのものである。
私がセカンドライフに対して持つ違和感である。インターネット上に創作されたルールを持った共通組織、いわゆるゲゼルシャフト的なものだが、それがlifeと称して良いのか常々思っている。