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既に様々な人が追悼のコメントを書いている中、私ごときが何か気の利いたコメントをかけるわけでもありませんが、なぜか書かずにはいられない自分がいます。

比較対象がおかしいと言われてしまいそうですが、日に日に喪失感が深まる様子は、私の中では1994年のアイルトンセナの死以来です。

セナの死は突然やってきたので、最初のショックは相当なものだったのですが、今回は尋常じゃないやせっぷりおよびCEOの退任を発表した後のことでしたので、ある程度は近い将来そうなることは心の片隅にありましたが、それにしても想定よりは随分早かったように感じます。

なので、訃報を聞いたときは、ついに来たかという感じでした。

そういう意味ではセナの時のほうがショックの度合いは強かったと思いますが、でも今回はじわじわと喪失感が深まっています。

それでこの2人の死に共通する喪失感は、ちんけな言葉しか思い浮かばないですが、想像を絶するパフォーマンスを発揮して感動を与えてくれる、もうそれが見れない

という感じです。

気がつけば、セナの残像を求めて未だにF1を見続けている自分とAppleのディジタルガジェット製品(Mac,iPod,iPhone,iPad)に囲まれて生活している自分がいます。

これほどの喪失感は今後生きている間にはもうないような気がします。

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