ポケモンGoで納得、Virtual(バーチャル)は「実質」であり「仮想」ではない
2016年、ポケモン Goが大ブームとなりまだ多くの人がプレーし続けています。実は私も、レアなポケモンが出現するという場所に出かけ、多くの人がスマホやタブレットでしか見られない、「モノ」を追いかけるのを体験してきました。こういう、電子的なモノが多くの人を動かしたというのは画期的な事象であり時代が変わった象徴的出来事だと考えます。その新しい時代において、日本人は早く考えを改めるべきだと危惧しています。
バーチャルは「実質」であり、「仮想」でなない。
と。筑波大学助教でテレビにも出演多数の落合陽一先生は自身が主宰されているデジタルネイチャー研究室の趣旨をこう述べられています。
魔法の世紀の世界観や自然観を「デジタルネイチャー」と我々の筑波大学研究室では呼んでいます。 我々が想像する未来像、デジタルネイチャーとは、ユビキタスの末に実質(バーチャル)と物質(マテリアル)、人(ヒューマン)と機械(ボット)の区別がつかなくなり、 ごちゃ混ぜになった世界です。 そういった世界を実現し体現していくために、我々はアート表現やデザインを含め、 学際的にまたがる工学的な研究を行っていくことをモチベーションとしています。
デジタルネイチャーは近い。
我々は今、何がバーチャルで「実質的な存在」なのか、それともマテリアルで「物質的な存在」なのかの区別がつかない世界に到達しようとしているし、 Botやプログラムとの会話なのか生身の人との会話なのかの区別もつかない状態も迎えつつある。
ソーシャルメディア越しの会話は、ほとんどの場合、人と人との会話であって、対面で話すのと本質的に変わりないのですが、機械(ボット)が代わりに行うことも可能です。ボットと人が両方使いツイートすることを実践されている落合先生はバーチャルとマテリアルの混じった存在を実践されています。
千利休の美とレアポケモンの共通点
やくみつる氏やTwitterで繋がっている同郷の知人が、「仮想な存在に価値を見出すなんて馬鹿げている」という趣旨の話をされていました。これは、バーチャルを「仮想」と理解してしまったが故の間違いだと思います。バーチャルは実質あるもなのですから。
この、あるのかないのか、何に価値を見出すかという話の先駆者は千利休ではないかと私は考えてきました。日用雑器の中に新たな美を生み出すという、千利休の美、「わび、さび」は、物質(マテリアル)自体には価値がなく、目利きの認定という記号が価値を生むことを示しています。そして、記号が価値を生むという本質を具現化して多くの人を動かしたのがポケモンGo でしょう。
Virtualization を「仮想化」と呼ぶことをやめ「実質化」に改めよう
バーチャルが実質だということはポケモンGoをやってない多くの日本人はまだ理解できてないだろうと思います。そこでまず、バーチャルを「仮想」と呼ぶことを止め、コンピューター用語のVirtualization も「実質化」と改めることを提起します。日本人がVirtualを仮想と理解した「戦犯」は日本IBMだと長らく私は考えてきました。しかし、力学用語でVirtual Work を「仮想仕事」と昭和初期に訳していたそうで、訳の例がある中で、戦後に新たな訳語を作るのは難しかったのだろうとは思います。しかし、仮想と呼ぶことで多くの日本人はバーチャルを誤解したままです。
あえて、仮想化 を捨て、実質化に変えることで日本人のバーチャルに対する認識が改まる日が来ることを願っています。