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太陽光発電は「気まぐれに出勤し、突然サボるアルバイト」

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太閤秀吉の圧倒的な兵力は夏の蝿にたとえられたそうですが、太陽光発電の不安定さは、さながら「気まぐれに出勤し、突然サボるアルバイト」でしょう。これが、月締めで回収がくるようなゆったりした内職だったら大きな問題でないかもしれません。都合がいい時に働き長い期間で調整していけばすみます。しかし、電力系統に接続するとなると話は違います。

電力系統に接続するとなると、リアルタイムに変化する需要に見合う電力の供給の末端を担うことになります。例えるなら、来客の注文に随時応える飲食店の調理人みたいな役割です。これが、ベース電源と期待される原子力発電や水力発電は予定通りの安定した発電が可能です。深夜の需要を満たしつつ、供給が余ったら揚水発電用に貯めるとかいうことも計画的に行えます。たとえるなら、ベース電源は極めて欠勤率の低い安定したプロの職人のようなものです。

一方、太陽光発電はそもそも昼間しか期待できません。そして、どの程度の発電ができるかは刻々と移ろいゆく日照に依存します。突然、陰ったり照ったりする様子は、「気まぐれに出勤し、突然サボるアルバイト」というたとえが適切でしょう。気まぐれバイトを多めに雇っておくことで、安定したプロの職人の代わりになるのか、というとさにあらず。全く頼りにならないので、バックアップで調整しながらカバーリングする、「臨機応変に働いてカバーリングしてくれる職人」たる火力発電が必要となります。

頼りにならない太陽光発電を使うために、やれ、揚水発電の拡充や蓄電池の整備とかいう掛け声がありますが、これは簡単ではありません。やたらにコストと整備の時間がかかります。そして、蓄電ロスもあるので更に高価になります。また、蓄電しておけばそれで足りるとも言い切れないので、結局、太陽光発電が増えると臨機応変に調整しやすい火力発電を増やさねばなりません。

さて、九州電力でそういう不安定な再生可能エネルギーの受け入れ停止が問題となりました。この状況を飲食店に例えると「サボるアルバイト」の受け入れには限度があるというとても当たり前の話です。気まぐれに働くサボるバイトが作った料理があまったら、他の店に融通したり、冷凍して後に蓄えたり多少はできますが、それは非常に不効率です。というか、厨房のスペースにも限りがあり、受け入れられる人数には限りがあるわけです。バイトをカバーリングしてくれるプロの職人を置いておくにしろバックアップように雇える数には限りがあります。

現状、太陽光発電は非常に高いアルバイト代が払われており、初期には時給4,200円とかの破格の値段で気まぐれに働き続けられるというお墨付きを出していました。さすがにこれでは希望者が殺到し、多少下げてもまだまだ希望者は引きも切らないことでしょう。

今後必要なことは高い時給で雇うという過去の約束の見直しや今後の時給の調整でしょう。目先が利く政商が大儲けし続けていいのか?儲かると聞いて投機に乗った、和牛商法に投資したような人をどう救済していくのか?いずれにしろ、不適切な政策が招いた悲喜劇であり。政治的な解決が必要となるでしょう。そして、止める人質に法案を無理に通した時の政権、政治や雰囲気に流されて適切な政策を曲げた官庁、「原発XX個分」とかいう間違った比喩を使い続けたマスコミや、6年も前倒しで目標達成とかいうような、その意味する問題を考えもしない記事を載せたネットメディア、などなど、多くの係る組織や人がここ数年のバブルを振り返り検証し、方針を修正していくべき時にあると思います。

今後100年、200年とかを考えた時に、再生可能エネルギーである程度まかなえる社会に変えていくというのは人類の文明社会を続けられるかどうかの鍵になる大きな課題でしょう。そういう長期的な状況を見据えた上で、今使える資源たる原子力発電の再稼働を進めるべきかどうか?ウン万年に一度あるかどうかという災害のことをどう考えるべきか?そもそも、富士山再噴火による降灰で首都圏の交通麻痺とか他にリスクが高いこともあるのでは?などなどリスクヘッジとコストを考えなおすべき時に居るそう考えます。「100%安全なんて神話でありえない」そう知ったはずなのですから。

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