日本に足りないもの、それは、高額報酬で連れてきたいプロ経営者
日本はいつの間にか、分配の公平ばかりに目が行って、成功した人をねたむ社会になっているんじゃないか?という危惧を最近感じています。佐々木さんがそうだとは言いませんが、このエントリーでは「分配の正義」に注目されています。
本気の発言ではなくまで例えの一種なんだろうな…と思いつつ、分配の正義は道徳的な対価とは関係ないという事で、高額報酬貰っているご当人も説明に苦慮し ているのかもしれませんが、こういう表現ってどうなんでしょうね?
「中小企 業の社長だったら、1億円をもらおうが、愛人をつくろうが、とがめられないのに…」ってちょっと違う気がする:平凡でもフルーツでもな く、、、:ITmedia オルタナティブ・ブ... via kwout
しかし私は、大企業の経営者たるもの、サラリーマンの延長線上で類推して、「分配の正義」とかで語ってはいけない存在だと思うのです。
Appleの復活がスティーブ・ジョーブスの手腕によるものであることを例に取るまでもなく、経営者の良し悪し、経営判断の適切かどうかが、企業の業績を大きく左右します。創業社長でなくても、日本マクドナルドの原田社長など高く評価される経営者は数多く、その手腕の良し悪しが会社の命運にそのまま繋がると言っても過言ではないでしょう。それほど経営者は重要な仕事なので、一般社員と代わり映えしない給料の凡庸な経営者の企業よりは、あちこちから引っ張りだこで高額の報酬と三顧の礼で迎えられる経営者の方がありがたい存在だと思います。
今、日本の社会風潮として、高額報酬を得る大企業の経営者が槍玉に上がることが多いのですが、そんなことを言うよりも、海外の優れた経営者をもっと高い報酬で「引き抜いて」日本に呼び込むことの方が日本の今後の発展には重要なことだと思うわけです。
さて、最後に佐々木さんの意図を汲み取ると、革新は大企業トップの高額報酬よりも、「中小企業の社長だったら、1億円をもらおうが、愛人をつくろうが、とがめられないのに…」というタイトルの箇所にひっかかりを感じられたように思いました。中小企業でのガバナンス(企業統治)は、大企業より弱いとさげすむような響きを私も感じて、その言い回しはちと違うと私も思います。
同族経営で人事が不適切とか別の問題はありえるでしょうが、企業経営の核心たる経営者がしっかり報酬を得て、周りもそれを納得している(少なくとも辞めるには至っていない)というのは、合理的な行動の結果なのだと思います。日本で問題なのは、中小企業で成り立っている高額報酬の経営者が、かえって大企業で少ないことではないでしょうか?
中小企業なら、個人企業でガバナンスが無いから許されるとかいう問題でなく、プロの経営者が必要ならそれを正当化し、その経営が報酬に見合うのか厳しくチェックし、業績が悪ければ、首を挿げ替えるガバナンス、があればいい。そう思います。
>>>>>> ツイッターはネットマーケティングとサッカーネタを中心に頻繁に書いています。是非フォローして、交流を広げる一助にお使いくだ さい。 お断り:
本 ブログでの坂本英樹による投稿やコメン トは、あくまで個人の主観に基づくものです。現在および過去の勤務先の意見や見解を表すものではありません。