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「頑張る」のは古いマネジメントなのか?

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 先日、上場後初の株主総会を終えました。とある懇親会の席で株主総会の話の流れで「今年度も頑張ります」と言ったところ、他の会社の方から「社長が『頑張る』とか『頑張れ』というのは良くないですよ。余裕のない会社と思われて若者が離れていきますよ。」と言われました。私としては、意外なリアクションに面食らって理由を問うと、「最近の若者は『頑張ら』なくても高い給料が貰える会社に就職したい」のであって、「そもそも最近の若者は『頑張る』ことに慣れてない」し「『頑張る』のは格好悪いと思っている」ので、「上司が『頑張れ』と言うとしらけるだけで結果は出ない」のだそうです。

 「しかし『頑張る』ことが個人の成長になり、会社の成長にも繋がるのではないですか?」と問うと、「一昔前だとそうでしょうが、目指すものが無い連中に『頑張る』という言葉は響かないんです。一管理職や一企業でどうにかなる問題ではありません。先日も『10年は泥のように働け』という発言が物議を醸したじゃないですか。『頑張る』という言葉を使うのは古いマネジメントですね」と、ばっさり。その方も、 ある大企業の管理職で多くの部下をお持ちですから、実感を込めておっしゃっているのでしょう。しかし、仮にそのような現実があるとしても、「『頑張る』は 良くない」ということは無いでしょう。

 『頑張る』という言葉が響かないのではなく、『目指すもの』が響かないのではないでしょうか。

 例えば、誰だって好きな人にアプローチする時には一生懸命頑張ります。大好きな趣味に没頭した時には一生懸命に頑張ります。「今の若者」だってそうでしょう。それに、「今の若者」とひとくくりに言われることが多いのですが、実際には頑張っている「若者」も多くいます。大事なことは、「頑張る」のが慣れていないからそれを避けるのではなく、一人一人が「頑張りたくなる」活動、仕事に従事できるような「目指すもの」が見える会社や社会にしていくことではないでしょうか。

 「頑張る」ことが格好悪いなんてことはないでしょう!?逆に「頑張ってない」ことは格好悪いと思いますが。多くの人が「格好いい」と思っているスポーツ選手やアーチストだって、大会や本番の裏側では、人一倍頑張って今のポジションを得ているのです。何も頑張らずに結果だけを得ようというのでしょうか?

 いずれにしても、私は『頑張る』ことは大切だと考えています。仕事であろうが、プライベートであろうが『頑張る』ことは自身の可能性の追求です。私は、頑張ることが大切だと思わない人とは仕事はできません。同じ夢を目指して頑張れない人がいたら会社も本人も不幸ですから。一人一人が頑張って、そして成長して、その成長が会社の成長になり、個人の夢の実現に繋がると確信しています。

 と、主張してみましたが、他の人の考えも聞きたくなり、エントリしてみました。さてさて、『頑張る』という言葉はもう古いのでしょうか?

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