著作業界の崩壊が向かう先
また攻撃されそうな話題選んじゃったな・・・。
私自身著作権者です。たくさんの記事や本を書きました。いくらか怒っています。
最近、ジャーナリズムが崩壊の危機にある、という話をテレビの報道で聞きました。インターネットなどの「一見無料」の媒体からニュースを得ることが多くなり、新聞媒体が売れないために新聞社がどんどんつぶれているのだそうですね。
アメリカの多くの新聞が広告収入の上に成り立っています。アメリカの多くの企業がインターネット広告に移行しているために、新聞社の収入が激減しているのだそうです。日本の新聞は購入代金の上に成り立っているため、市場構造が若干違うのだそうです。
インターネット・ニュースが普及し、新聞がなくなることでジャーナリズムがなくなり「監視能力が衰える」と言ってる人が出てきて、それはどうなのだろう?と考えました。
「紙で配布する」ということと、「インターネットで配布する」ということは、媒体の違いでしかありません。ニュースソース(記事、原稿)を作る人の問題ではないはずなんですよ。
私だって、技術記事や原稿を書きます。紙の本に出すにしても、Webに出すにしても、同じものを作ります。むしろWebのほうがたくさんの人の目につきます。なのに、Webのときの方が金になりません。ソースを作っている人間にとっては、どうも不愉快です。
なぜ、インターネット経由で配信されるニュースが監視能力を持てない、と言い切れるのでしょうか。なぜジャーナリズムが、生き残れるレベルでインターネットから収入を回収できないのでしょうか。なぜ、インターネットでジャーナリズムが生き残れないのでしょうか。
この話題は私が書いているような著作物にも、音楽や映像にも言えることです。
最終的に読者・視聴者に渡る「著作物」に対して支払われている「価格」は、これまで「著作権料(ニュースならその素材コスト)」「装丁(デザインなど)」「物理媒体(紙・印刷)」「流通コスト(宣伝・販売・配布)」などが総合されていたはずです。Web化されることで大幅にカットされるのは、物理媒体と流通のはず。なぜ、著作者とデザインにまで「金を払わなくていい」というロジックになってしまうのか、理解できません。
オープンソースもそうなんです。ネットで配布する、自分たちでなんとかする、という点がコストを下げているのです。なぜ、「最初にコード書いた人にまで金を払わなくていい」という論理になってしまうのでしょうか。
ジャーナリズムにはお金がかかります。取材しなければなりません。取材には器材や移動費がかかります。ジャーナリストへの食費や給料だって必要です。取材するひとの生活をささえてあげてください。新聞社には、印刷も配送も要りません。でも、ジャーナリストは必要です。そのお金をだれかが捻出しなければ、ジャーナリストはなくなります。
映画は、プロの映画屋がいなくなれば良い作品が観られなくなるでしょう。「素人作品だって良い作品はある」という人もいるかもしれませんが、世界中のすべての作品がそれになることが本当に正しいと思いますか?そういう反論をする人は、一切、プロの映画を観ないで暮らせますか?
ネットには、素人が投稿したニュースが大量に流れています。「それだけでニュースは十分に支えられる」と言う人もいるかもしれません。しかし玉石混合。どのニュースが「信頼できる」ニュースソースなのでしょうか。プロのジャーナリストは、信念を持って真実を追い求めます。写メを投稿している学生に、その信念はおよそないでしょう。そんなニュース、信じていいのでしょうか。
書籍や雑誌にしても、これまで「プロの目」で選び抜かれた素材が使われてきました。プロとはなんでしょう。もう一度考えてみてください。
「たくさん観られている人気のブログ」というような、単なる人気だけで、コンテンツがもてはやされる時代は「プロ意識」を欠いた、なにかさみしい時代の到来のような気がしてなりません。たくさんの人が観ている、聴いている、それだけが作品の評価なのですか?
私の感覚からすれば「無料化」に力を入れているインターネット企業が、その収入源を「著作者」を保護するために働くべきだと思います。勝手に「無料で」配布し、広告収入で私腹を肥やすだけでなく、書籍の著作者、映画の制作会社、ニュースソースを作ったジャーナリズムに、利用された(閲覧された)分だけの使用料金を支払ってください。その回収システムを作り上げてください。市場の破壊をする人は、新しい市場を構築する義務もあるはずです。利用者が気持ちよくて自分たちだけが儲かればよい、というのではテロリストと同じです。提供者の利益も考えてください。
これはオープンソース・ソフトウェアにも言えますので、次回のブログで書きたいと思います。