オバマ大統領就任演説の考察というか感想として:ヒエラルキー型リーダーシップ脱却への予感
オバマ大統領の就任演説について様々な意見交換が行われています。変革を推進する、黒人初めての大統領とあってその期待値はうなぎのぼり。演説そのものの評価は「最高だ、すばらしい」から「ええんちゃう?」「涙出た」など、初耳でのインパクトはかなりの評価。練りに練られているだけあってか、実は2度、3度と聞き返し、読み返し、見返し、とやっていると、するめのように味わい深く、どんどん新たな感想が生まれてくる。また、米国や世界が抱えている現実の様々な課題に照らし合わせることで、今私たちがどのような態度で日々を送るべきかへの示唆がたくさんなされているのです。
さて、私の感想は、彼はアメリカ国民だけではなく、世界を意識したメッセージを発信しているのだな、ということでした。一国益主義にとどまらず、日々ボーダーレスになっているこのグローバル社会で今必要な言葉を発しているなと。
また、演説の冒頭で、オバマ氏(ところで、オバマ氏と入力すると小浜市と変換されるので毎回苦笑)は、Humbleという珍しい単語を使いました。直訳すると「謙虚」です。アメリカ合衆国大統領の演説で、この言葉を使った人はかつていたでしょうか。いや、私の知る限りに過ぎませんが、強いリーダーシップを求めるアメリカ大統領にあって、Humbleという言葉を使うケースはめったにないのでは。実は演説の冒頭から違和感を覚えていました。Humbleとは、旧来のアメリカンな考え方では、弱さ。謙虚さを美徳にするカルチャーは、儒教に支えられたアジア諸国や、日本だったりするのです。ところが、アメリカ社会で多くの人が美徳とする言葉ではないと。
しかしあえて、オバマ氏はHumbleであることを演説に盛り込みました。また、力で率いることの限界も説きました。力よりも共感。従わせるのではなく、能動的に行動する、そうした世界観の創造が重要なのだと。こうした言葉使いが、共感という大きなエネルギーの醸成に大きく寄与しているのだと思います。
さて、ブッシュ政権までのような、ヒエラルキー(トップダウン)型のリーダーシップ像は終焉を迎えたと最近の日本経済新聞に書かれていました。コミュニケーションの方法が多様化し、国民が、市民が自由にWebを駆使して発言できるようになる。いやなことをいやと、よいことをよい、と言える環境が整っている今、誰も人を束縛できないし、本質的に人は皆平等で自由なのだということを、オバマ氏は力強く言っているのだと理解しました。
そして、これこそ、新時代のリーダーシップなのだと考えるにいたったわけです。(そこで登場するのが、ハブ型、Web型コミュニケーションに介在するリーダーシップ像)
オバマ氏の演説では、政府とは、その大きさではなく、正しく機能することが重要。しかし、国民が責任を果たすことなく、政府が何をするかだけに依存していては、創造は生まれないと説きました。そして「New Era of Responsibilities」*が到来したのだと、熱く宣言をしたのです。
全米3億人+諸外国が同じ意識で、世界を覆う暗雲を除去するために団結するとしたら、それは武力をはるかに超えた大きな力になると思いました。
日本も、私たちもがんばらなきゃ。
*NHKでは「New Era of Responsibilities」を「新たな責任の時代」としていましたが、「責任という新時代」のほうが私には理解しやすいです。