そして僕らは少し大人になった。
2025年3月1日。高校の恩師だった加藤先生が最後の授業をすることになった。
40年前、加藤先生が教師になって初めて受け持った担任が私たち第4期生のD組だった。
男子校だった当時、動物園のクラスような私たちを、束ね、指導してくださったのが加藤先生。その雄姿を、有志で見学に行ったのだ。
すなわち、恩師の有終の美にかこつけた同窓会が、埼玉県本庄市大久保山で行われた。
「まむしに注意。」で夕焼けにゃんにゃんにも出たことのある、知る人ぞ知るあの学校だ。
最後の授業は、ちょっと異質だった。
先生が受け持つ高1クラスの生徒に加え、55歳のおじさんが20名近くずらっと、
広めのカフェテリアに集って行われたのだ。
てっきり先生が人生の教訓やこれまでの思い出を振り返って熱いお話を、僕らも十代のあの頃に戻って受けるのかと思っていたら、違った。
元学院長や、他のOBや、何なら元生徒の親御さんとか、いろんな人が出てきて入れ代わり立ち代わりお話をしてくれた。先生は、上手に進行をしながらそれらを温かい目で見守っていた。
授業の後、なかなか帰らない高1生とちょっと言葉を交わした。
残りの二年間を存分に楽しんでほしいとか、本当に素晴らしい学校だよとか、好き勝手な礼賛の句を並べ立てた。
もしかしたら、ポジティブすぎてちょっと五月蝿がられたかもしれないな。
そういえば授業の前に小腹が空いていたので、学食で塩ラーメンを食べた。
僕らの時代とは異なる学食だけど、なんだかとても懐かしい味だった。
もう今日はこれで十分だと思ったよ。
JR本庄駅の南側、国道17号の付近に「五州園」という宴の施設がある。ここで、我々の代による、40年ぶりのホームルームと称した謝恩会を行った。
恩師である当の先生を囲みつつ、久しぶりだったり、懐かしかったりの同級生と楽しく語り合った。高校を卒業して以来初めて会うメンバーも何名かいた。皆、ちょっと大人になって、素晴らしいよね。
この会には参加が叶わなかった人たちもそれなりにいた。仕事や家庭の事情で来ることができなかった者、メルアドなどがわからなかった者、中退して消息不明の者、鬼籍に入られた者。
それでもクラスの半分が集まると、だいぶ盛況だ。
僕は多分、誰かに言われたわけではないけれど、使命感があって参加していた。
「この瞬間は、二度とない。」
ノーサイドにしたかった。僕らは皆、あと50年を生き抜ける確率は5%もない。
平均寿命に照らし合わせたら、きっと後30年程度が限界だ。
それまでに、僕らは、同じようにまた集まって、語り合うことができるのだろうか。
切ないが、
多分ないだろう。
なぜか。
僕にその意思がないからだ。
自らが、意思をもって行動しない限り、二度と会うことがない人たちがたくさんいる。
SNSで数千人とつながっていたとしても、リアルに再会することができるのはそのうちの一握りだ。
このオンラインのつながりを持った人たちと、毎日一人会ったとしても、途方もない年月がかかる。そしてそれは現実的ではない。
新しい出会いもたくさんある。
だから、天命に選択を迫られているのだと思う。
己が、誰と、残された--限りある時間を過ごすのかを。
後悔をしないように、悔恨を払拭できるように
ひとりひとりとの出会いや再会を大切にし、
笑顔で別れることに決めたのだ。
もう二度と会うことがなかったとしても、
現し世(うつしよ)に悔やむことがないように。
その夜は長瀞の「長生館」という立派な宿にお世話になった。
同じ高校の後輩が運営をしているらしい。
誰かが先輩風を吹かせたのか、素敵なウイスキーのボトルが差し入れられていた。
最近出べその手術をしたばかりだったので温泉に入ることはできなかったけど、
とても楽しんだ。
食事の後に出向いた「白馬」でディープパープルのハイウェイスターを熱唱して腹圧がかかりすぎて術痕から血が噴出したというちょっとした事件が起きたけど、僕は大丈夫。
お店の方が「本当にステキ!」と微笑み返し。何を褒められたのかはよくわかっていない。血かな。
*服がすべて吸収したので周りは汚していません。
日付が変わる前に宿に戻る。
アジアのどこかから羽田に帰国したそばから駆け付けた仲間などと結局午前3時ころまで語り合った。
僕は殆ど聞いていただけだけど、
まるで修学旅行のようだった。
「玉ちゃんが好きな人はだれ?」と
いつ聞かれやしまいかドキドキしていた。
よく考えたら男子校だ。
*今は共学
とにかく、眠りたくなかった。
素晴らしい一日を終え、翌朝僕は一人で、電車で帰った。
初めて西武秩父から特急電車に乗り込んだ。
あの黄色い、カッコイイ特急電車である。
よく知らなかったので窓口で「グリーン車はありますか?」
と尋ねたら"そんなものはねぇよ"という顔で「・・・ございません。」
と言われたのが、この週末の一番つらい出来事だった。
そのくらい幸福だった。