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ポスドク問題についての前向きな提言、理系の観点からの社会全体についての気づきや意見、会社、社会、国に過度に依存しない生き方について綴ります。

資格の死角 ~資格を持っていても稼げる保証・助けにはならない?~

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資格の死角 ~資格を持っていても稼げる保証にはならない?~

いきなりのおやじギャグで恐縮です。
これも、ゆるい話ですね。

世の中には、多くの資格があります。中には、勿論、その資格を持っていないと
その職業に就けないものもありますが、そうでないものも多いと思います。
つまり、履歴書に書けるという程度のものでしかないようなものも多いのではないでしょうか。

極端な話、学歴というのも資格の一種というかむしろ代表的な資格なんだと思います。
中卒、高卒、大卒と。

資格とは、学校では教わらないけど、それを勉強しましたという印なんだと思います。
大学の単位に近いかもしれません。

もっと細かく言えば、小学校1年生の国語 という資格、算数 という資格という風に、いちいち認定してもよいと思います。
一般的には、それをひっくるめて、学歴と呼んでいるわけですね。

なので、ひとくくりに大卒といっても、たくさん単位を取っている人もいれば、
卒業に必要な最低限の単位しか取らずに卒業する人もいるので、
そのような違いを表現することなく、
ひとくくりに大卒になっている時点で、なんか変だとも思います。

最低単位の人が、社会に出てから、
大学での単位にもできたようなものを資格として取ると、履歴書にも書けたりして、
本当は、資格を持たずに、単位を多く取った人も、同じ扱いを受けなければいけないのに、
後から、資格を取った人の方が得になるというのは、原理的におかしな話なわけで、

そう考えると、資格をとっても仕方がないというか、別段有利というわけでも
ないような気もします。

資格というのは、その分野における、過去に通用した話であり、
未来への外挿を保証するものではないですよね。
なので、過去について、一通り学習するという意味ではよいと思いますが、
それ以上を期待したら基本的にはいけないように思います。

単純に、今までは、その資格で稼げたかもしれませんが、
今後は知らないよ
ってことです。

資格というのは、取る側より、その資格を作り出す側に回らないといけないと思います。

たとえば、アイドルのカリスマファン検定なるものを作っても
いいのかもしれません(商売になるかはわかりませんが、笑)。

そもそも、最初にその資格を作り出した人は、その資格を持っていないわけで、ならば、
誰が一体、その資格を作り出した人にお墨付きを与えるのか?
という、鶏が先か、卵が先か というような話になってしまいますね。

ここがいわば、資格の死角のようなもので、天から降ってくるわけではありませんよね。

会社も同じで、誰かが会社を作ってくれたからこそ、雇用が存在するわけで、
これも天から降ってきたわけではないですね。同じ人間が作り上げたものですね。

つまり、資格の先を行かないと仕事にはならないのだと思います。

個人個人が、自分オリジナルの資格をもつ時代になるのかもしれません。
特に誰かが認定するわけでもありません。

そもそも、認定という行為が出た時点で、
もう時代遅れなものになってしまっていると場合によっては考えられます。

このあたりのからくりが分かってくれば、世の中うまく立ち回れるかもしれません。

という、資格を全然もっていない人間のヒガミのブログでした(笑)。

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