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ライフワークとしての音楽を考えていきます

物事の実体に耳を澄まし問い続ける力

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最近、社会的に話題になったかと思うとあっけなく取り下げられたり、信頼していた食べ物のブランドが実はそうではなかったりするようなことが話題になっています。

昔もそのようなことがあったのかもしれませんが、時代のスピード感が早くなるとともに社会的な自浄作用も早くなっているのかもしれません。

そのような中、プロフェッショナルのあり方も問われるのではないかと思われます。

プロとしての技術を磨き、知恵を深めているからこそのプロです。本質を見極めること、そして、もし見極めが出来ていたとしても理由があって流されてしまう現実の難しさを感じています。

そんな中、以前もブログで何度か書かせていただいた指揮者の大野和士さんが、2014年2月9日にジャーナリスト江川紹子さんの記事「『クラシックの死』を招かないために~指揮者・大野和士氏の警告」にて今回の騒動について述べられていましたので、引用してご紹介したいと思います。


     ・・・・・(以下引用)・・・・・

〈情報を、まことしやかなものするために、お墨つきを与えた、音楽関係者の罪は、重いと思います。

クラシックのメガヒットと言われているそうですが、クラシックは、何百年も前から、時を超え、国を超え、人々に広がったからこそ、古典と呼ばれるているのだと思います。じわり、じわりと、歴史の中に浸透しているからこそ、人々が自らの存在の意義を振り返る礎として、愛され続けてきたのだと思います。

何万枚の売り上げといった今日的な文句も、その歴史を前にすると、あまりにも表層的なものに思えます。いにしえの人々の魂にじっと耳を傾けながら、今に生き、未来を展望するのが、音楽家の役目だとすると、今回の出来事は、その根元に水がいかなくなったような状態といえばいいのでしょうか。自ら招いたクラシックの死ですね。〉

「ベートーヴェンは、耳は聞こえなかっていた。でも目で聴いていた。全身で聴いていた。目や体で音楽の力動を感じ、演奏を見届けるという気迫があった。作曲家は、必ず(本番までの)どこかの段階では来て、関わるものです。旋律だけを作って、あとは(助手などのアレンジャーにオーケストレーションなどを)任せる人でも、アレンジャーに確認はするでしょう。できる限り努力して、作品に責任を持つ。それが作曲家です。

ところがこの(佐村河内氏の)場合、音楽を世に出すための普通の課程を経ていません。音楽関係者は、もしだまされたのだとしたら、だまされた方が悪いと言わざるをえません。

     ・・・・・(以上引用)・・・・・


「お粗末な偽装」になぜ気付かなくなってしまうのか?(2014/3/5)にも書かせていただきましたが、物事の実体に耳を澄ます、そして問い続ける、ということがなかなか難しくなっている世の中になっているのではないでしょうか。
なぜなら、情報があふれ、問い続ける前にすぐに答えが出てしまう。
それに慣れ切っているからです。
よい事も多いのですが、これは、私も含めて時代の病ではないかと感じます。

今回のことが本当にクラシックの死を招かないように。
今後も微力ではありますが、このブログにてもできるだけ良いものを皆さんにご紹介していければと思っています。


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