「北海道は人手が入れば入るほどダメになる」これからは専門家を横につなぐ力が必要
ヨーロッパに降り立ったとき、鮮烈に感じるのは街並みの美しさ。
「街並みの美学」があるのです。
イタリアの都市は、街全体が文化遺産だったりするので、古い建築物を直しながら大事に使っている。
確かに不便な部分もあります。
間借りしたフィレンツェのアパートは、「建物が傷むから」という理由で11月まで暖房を入れてはいけない規則になっていました。10月中にロシアの寒波がやってきてものすごい寒さだったとき、ガタガタと震えながらシャワーを使っていた思い出があります。
「ハーモニー」155号に建築家の村山実さんのインタビュー記事に興味深いことが書かれていました。
・・・・・(以下引用)・・・・・
街はみんなのものだっていう意識は正確にはまだ芽生えていないと思うんです。かつて街は「公のもの」でしたでしょ。その意識と「それぞれのもの」っていう意識はどこかで重複しているから、なかなか「自分たちみんなのもの」にはならないんじゃないかな。
(中略)
メチャクチャなんですね。北海道って、人手が入れば入るほどダメになっちゃうね。
建築家の集まりでそういう話をすると、みんな賛成するんだけど、そこから先はどうやっていいかわからない。個々の仕事は一生懸命頑張るんですね。でも全体的な連合ができてない。政治的な問題もあるだろうし、文化的な全体の力っていうんですかね、つまり「街はみんなのものだ」っていう意識、共通感覚が欠落しているような気がするんですね。
・・・・・(以上引用)・・・・・
竹山さんは北海道札幌生まれです。私も同じ北海道出身として、都市の周りの美しさを知るだけに思いは同じです。
しかし、北海道だけではなく、これからの日本はどうやって街づくりをしていったらいいのか。
少子高齢化の道を歩み、国全体の力も落ちてくるといわれています。
今後は日本の伝統文化や、観光資源など、今あるものについてももっと深く目を向けていかなくてはならないと思います。
1月21日の記事にも書きましたが、専門家と専門家を横につなぐ力。
今まさに、スーパージェネラリストが必要なんだと思うのです。
例えば、建築家と環境学者、都市プロデューサー、そしてプロの政治家が、問題解決のためにお互いの領域に踏み込んであるべき姿を議論する。
そうすることでより良い未来が見えてくるのではないか、と考えます。