「負けられないと思ったときが負け」 横綱 白鵬 なぜここまで強いのか
今年の2月4日に、第68代横綱・朝青龍が引退してから、一人横綱となった白鵬。
一年前は、朝青龍の強烈な存在感のせいか、育ちが良さそうで相撲が上手な力士という印象でした。
しかし、一人となってからは場所ごとにその品格に磨きがかかり、今や土俵に立つだけで気高いオーラを放つまでになっています。
今回の九州場所も11月28日の千秋楽にて見事な優勝を飾りました。
よもや双葉山を抜くかと思われた白鵬の連勝記録ですが、場所二日目で、稀勢の里との一戦に敗れて連勝記録は63でストップしてしまいます。
同日夜のNHKスペシャル「横綱 白鵬~"最強への挑戦"~」で、稀勢の里戦について白鵬はこのように語っていました。
「(稀勢の里の張り手を顔面に受け)途中から熱くなった。"負けられない"という相撲に変わってしまった。」
「自分の型に持っていけなかったというのは"後の先"ではない。」
「後の先」(ごのせん)とは、相手の攻撃を受け止めながら得意の型に持ち込むという立会いのやり方。
片目が不自由だった双葉山が用いた立会いで、よほどの力量がなければできない離れ業です。
白鵬も双葉山と同じく強靭な足腰と吸収力を生かして「後の先」を極めていました。
しかし思わず冷静さを失いムキになって攻めに出てしまったことで勝負が決まってしまうのです。
鍛えられた闘鶏が木彫りの鶏のように静かであったことを指して、「未だ木鶏たりえず」といった双葉山の言葉がありますが、純粋に自分の型だけを追求する姿に武道を越えた哲学的ともいえる境地を感じます。
勝負の世界なのに、先手必勝ではなく、『負けられない』と思って『負ける』。
そして、ただひたすら自分の型のみ。
双葉山は連勝記録が途絶えてから3連敗。
大鵬は45連勝で終わったあと休場に追い込まれています。
しかし、白鵬は違いました。
自分の敗戦を録画で何度も見直し、ニヤリと笑います。
木鶏になれなかった自分に向けての笑い。
そして、敗れた翌日の3日目からは13連勝するのです。
ピアノを始めたばかりの頃、先生に「ピアノは相撲と似ていますよ。相撲を見なさい」と言われたのを思い出しました。
「良い演奏をするように頑張ろう」「感動できる演奏にしなければ」と思ったとたん、不思議なもので、音楽はスルリと離れてしまいます。
緊張やプレッシャーで押しつぶされそうになっても、暴れだしそうな自分のエゴを感じたとしても、ただひたすら音楽のことのみ考えるしかないのです。
白鵬は「苦しいことを経験したからここまでこられた」と語っています。
「神(心)技体」揃ったすごい横綱が誕生したと思います。