神 技 体
2月4日、横綱朝青龍の引退会見がありました。
大関千代大海が1月13日に引退してから一ヶ月もたたないうちに、また1人素晴らしいお相撲さんが土俵から去ることになりました。
土俵に立つだけで空気が変わるオーラ、圧倒的な存在感。
モンゴルからやってきた気高い虎を思わせました。
なめらかで見事な立会いから力とスピードで攻める寄り、出し投げ、突き押し相撲がもう見られなくなってしまうと思うと残念で仕方ありません。
引退理由は、品格を問われる行動をとってしまったけじめ、ということです。
相撲の世界には「心 技 体」という言葉があり、この「三位一体」が揃って初めて素晴らしいお相撲さんとなれるのです。
今回は「心」の部分でした。
もし朝青龍が横綱でなければ、よく説明すれば、もしかしたらまだ引退しなくても済んだかもしれない、とついつい思ってしまいます。
もともと相撲は日本固有の神道に基づいた神事です。
近所の神社に、現役だった小錦や他の高砂部屋の力士が来て、ちびっ子相撲に稽古をつけたりする催しがありました。
女子は土俵に上がれなくて残念でしたが、最前列かぶりつきの席に座り、夢中で稽古を見ていました。
寒い時期でしたが、お相撲さんたちはまわし一つで、湯気がたつほどのつやつやの肌からは厳しい稽古で磨き上げられた自信がみなぎっています。
髷を結う鬢付け油の甘い香りとともにお相撲さんたちが入場してきたとたん、えもいわれぬ神々しい雰囲気に包まれました。
天から遣わされた別の生き物のように見えました。
この頂点となるのが横綱なのです。
日本人は、日本の相撲では横綱に「神」を求めます。
だから横綱だけは心以上の「神 技 体」ではなければならないと思うのです。
神の領域までいくことが横綱に課せられた使命なのかもしれません。
神格化された存在であるべき横綱。
今回の朝青龍関の引退は仕方なかったのだと思います。
ライバルの白鵬が、インタビューで涙をぬぐっていたのが印象に残りました。
「やれやれ、やっと自分の天下だ」ではないのです。
朝青龍にあこがれて日本にやってきた白鵬。
心から朝青龍のことを思っていることが良く分かりました。
相撲も素晴らしいけれど、心も立派な人だと思いました。
品のよい顔立ちで、発言に常識があり、育ちの良さが表れています。
これからは一人横綱となる白鵬です。
相撲同様、持ち前のバランス感覚で今後の相撲界を引っ張ってほしいと思います。