「狩の仕方は誰も教えてはくれない しかし男は狩に行かなくてはならないのだ」
指揮者の山田一雄さん(1912~1991)は日本の音楽界を支えた大指揮者です。
激しい指揮振りで、指揮台から数十センチも飛び上がったり、指揮台から落ちてしまったりした話しは有名です。
その山田一雄さんは、指揮者になりたいという人に、以下のようなことをおっしゃっていたそうです。
『キミは、指揮者になるためにはどうしたらいいのか分からない、と言ってるが、それは非常に甘い。
人前に立ってとにかく振ってみたまえ。
恥をかいてみたまえ。』
『キミは男だ。男は狩をしにいかなくてはならない。狩をして獲物をとってこなければならないのに、狩の仕方がわかりません、どうしたらいいのでしょう、などといちいち聞いている男はいない。』
山田一雄さんは、戦時中、満州に渡って指揮をしていたほどの人。
ソ連軍が満州に侵攻する数時間前に脱出して帰国したのです。
そういった時代を潜り抜けて音楽をしてきた山田さん、努力と試行錯誤の連続だったのではないかと思います。
その積み重ねが、深い内容の音楽となって表現されていたのですね。
2010年7月17日、私が指導を努める合唱団コール・リバティストの練習がありました。
マエストロが日本合唱協会というプロの合唱団で「光る砂漠」を歌ったとき、作曲家の萩原英彦さんが立ち会い、指揮者の山田一雄さんが棒を振ったそうです。
「この曲は3回くらいやりました。
山田先生も、萩原先生も、この曲集の1曲目『再会』における『だれも』の『も』に来る和音を大変大事になさっていました。とても響きにくい和音でしたが、この和音をきれいに響かせてくれ、と何度も何度も練習しましたね。
だから皆さんもこの和音大切に歌ってください。」
「光る砂漠」を演奏したとき、その山田一雄さんや、作曲家の萩原英彦さんに直接教わったことを、私たちに教えてくださっています。
そして、私たちは、演奏することによって、この巨匠たちのことばをこれからの世の中に伝えていくことをしていかなくてはなりませんね。
文化を伝える、継承していく、とはそういうものかもしれません。
★山田一雄さんの年号に間違いがあり修正いたしました。(2010/07/22)