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遺書を書いてからがすごかった 「ハイリゲンシュタットの遺書」

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本日10時14分、田園都市線あざみ野駅で人身事故がありました。
私が隣の駅たまプラーザに到着したのは10時22分。1時間余分にみて家を出たので、一応すぐ先方に連絡し、迷惑をかけずにすみました。
 
この頃、この沿線は人身事故が多いように心なしか感じています。
通勤ラッシュの時間帯ではありませんでしたけれども、駅は不安な表情の人々であふれていました。
 
その光景を見ながら、迷惑を被ったというよりも「なぜだ!なぜだ!」という思いがこみ上げてきて仕方がありませんでした。
 
今、日本では自殺者が増えていると言います。
 
音楽は、人間の生きる勇気を与えるために作られ、演奏されているはず。
自分はいったい何をやっているんだ、という憤りにも似たあせり。もどかしさ。
小さな力でも何か出来ないか。いや、何か出来るなんておこがましいことかもしれない。
そんな想いが交錯していました。
 
ベートーヴェンは1802年、32歳という作曲家としてこれからというときに、遺書を書いています。
「ハイリゲンシュタットの遺書」と言われるこの書簡。
その一部をご紹介したいと思います。
 
「誰かが私の横に立っていて、遠くの笛の音を聞いているのに、私には何も聞こえないとき、また、誰かには羊飼いの歌が聞こえるのに、やはり私には何も聞こえないとき。これはなんという屈辱であろうか。そのようなことが何度かあって、私は自暴自棄となり、もう少しで自分の命を絶つところだったのだ」
 
これは、ベートーヴェンの死後発見されたものです。
彼の耳は音楽家として活動していくには絶望的な状況にありました。
しかし、思いとどまったのは彼の強靭な精神力だったか、神の力だったのか。それとも音楽の力だったのでしょうか。
 
それからのベートーヴェンは、交響曲第3番「英雄」を作曲し、「運命」「田園」「ワルトシュタイン」「熱情」など、『傑作の森』と言われる創作期に突入します。
 
遺書に関しては、その後の研究によりいろいろな意見がありますが、遺書が残されていたことは紛れもない事実。
 
そして、この時期のベートーヴェンの作品は、遺書を書く前とは違い、明らかに内容が変化してきました。
完全なるものへの造形美。技術的にも進歩し、内容も、その深さ、豊かさ、優しさ、激しさに、演奏していても、聴いていても、圧倒され、心揺さぶられ、ただごとではない尋常ならざる気持ちにさせられます。
 
この遺書を読んでいるからこそ、なおさらベートーヴェンの音楽に感動してしまうのです。
 
ちょうど5年前、身内が、死ぬか生きるかのときがあり、そして生還しました。
これほど身近に死というものをつきつけられ、考えさせられたことはありませんでした。
 
何のために生きているのか。自分はどんな役目を与えられてこの世に生まれてきたのか。
生きなくては、命を生かさなくては、と思います。

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