ピアノ講座その4 「その作曲家凶暴につき」 ドビュッシーの前奏曲第1集より「とだえたセレナード」
ピアノ講座、ショパンの練習曲 作品10-1、10-5「黒鍵」、シューマンのアベッグ変奏曲 作品1までをとりあげました。
今日は、ドビュッシーの前奏曲より「とだえたセレナード」です。
ドビュッシーの前奏曲全曲演奏会も成し遂げた先生お得意の曲。
「自分も見直さないといけないと思っていることがあります。
それは、ドビュッシーというのは上手なオーケストレーションをする人で、たくさんの色彩を持っています。音量の幅も大きくて、金管楽器も出てくるし、ホルンもフラッターさせてサキソフォンみたいな官能的な音も出させたりしている。そこにとらわれすぎていないか?ということです。」
「この曲は完全にピアノによるギター。ギターっていうのはあんまり大きな音ではないですね。ドビュッシーの先入観から私たちピアニストは、無駄に大きく弾きすぎていると思うのです。だからと言って小さいだけでいいというわけではないけれど。」
「この前さかんにフランス人ピアニストのジャック・ルビエ先生(パリ国立高等音楽院教授、ベルリン芸術大学教授)がおっしゃっていたことがあります。『ドビュッシーの家にあったピアノは縦型しかなかった。しかもすごく軽くて小さな音しか出なかった。その楽器が大変気に入って作曲をしていたのです』」
「この曲は、ギターと歌と・・・それから何が邪魔をして遮られたのか?未だに邪魔の物体がはっきり分からないんだけれども・・・・。ルビエ先生は、『ドビュッシーのクセとして、軽くて弱音が多い中に必ずどこか凶暴なところを入れてくる。』と言っています。エチュードでも、頻繁に凶暴な邪魔が入ってくる。このセレナードもそうですね。」
「ドビュッシーに凶暴性があるなんて今まで意識したことないから、自分の演奏は凶暴性が足りなかったのかな?とも思えてきました。これは何か真似や模写なのだろうかと思っていましたが、単にドビュッシーのクセで、心理的凶暴性を出しただけのような気がします」
「だから、他はもっと小さく軽く弾いておかないと凶暴性もわからない。
始めは、タタタ・・・と調弦している。『これでいいかな?あっているかな?』というようにつま弾きしています。それから『ちょっと弾き始めたけれど、やっぱりもう一回調弦しようかなあ・・・』ともう一回調弦しているうちに、だんだん調子が出てくるのです。19小節からは『さあ、弾いてみようか』となる。しかし本調子でも音量は大きくなく、ただテンポが整然とするだけです。そこはギターによる前奏で、すぐに歌が出てくる。そのあと遮るもの、いわゆる凶暴性なるものが出てくるわけです。」
「この凶暴性のもとは、西風にあるように思えます。前奏曲第1集の7番に『西風のみたもの』というのがあります。西風というから『そよそよ』しているものとばかり思っていたら、これは大暴風雨のことです。」
「ルビエ先生が若い頃、オランダに近いところにある教会で演奏会をしたときの話があります。暴風雨になり三日三晩雨風で、大きな石がふってきて教会の屋根にぽっかり穴をあけ、ピアノを壊してしまいました。それから何日もかかって修理をして調整をしましたが、ピアノも違う音になっていました。それでもうすっかり気分もおかしくなってしまったということです。」
大西洋からの暴風雨で、大きな木がたくさん倒れている映像を見たことがあります。大木が倒れたり、石がふってきたり、西風とはなんとすごいパワーなのでしょうか。
ドビュッシーの音楽は、印象派の絵をイメージしていたし、数ある歌曲もものすごく綺麗なものばかりです。
キレイだキレイだとばかり思って、乱暴に弾いてはいけないといつもセーブさせていましたが、これからはこの「凶暴なるもの」を表現するために、もっと思いっきり弾いてもいいのかもしれませんね。
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