天国にいるベートーヴェンと会話する力
今はもうこの世にいない作曲家が、一体何を考え、何を感じ、どういったイマジネーションで曲を作ったか。
それは、残された楽譜の中に全て書かれています。
もちろん、歴史的背景、伝記、残された手紙などの中から、そのときの作曲家の様子をうかがい知ることは演奏にとって大切なことです。
しかし、それだけではどうしても作曲家に近づけないような気がするのです。
曲の中に何度もダイブするように、自分の心と体で感じ取っていくと、ある時ふと、作曲家の声が聞こえてくるような時が訪れるように思います。
でも、天国にいるベートーヴェンに電話をかけたくなってしまうときもあります。
現代の空気感を同じくしているならいざ知らず、およそ200年前の、やはり他人ですから、想像力を最大限に働かせても分からないことはたくさんあるのです。
ベートーヴェンが、ナポレオンを尊敬して作曲した交響曲第3番「英雄」。
市民の英雄だと思っていたナポレオンが皇帝の座に即位したという知らせを聞いたベートーヴェンは激怒し、曲の始めにあった「ボナパルトに捧げる」という献辞を消しました。
実際の楽譜には、紙が破れんばかりにぐちゃぐちゃにペンで消した跡がのこっていて、ベートーヴェンの怒りと、彼の激しい性格がよく表れています。
このようなことから作曲家を知り、曲を解釈することも大事なヒントになります。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタの演奏会、録音でも素晴らしい功績を残している、イタリアのピアニスト、マウリツィオ・ポリーニ。
彼は、ザッハリッヒ(即物主義)な演奏で知られる大巨匠。
演奏会のチケットは現在最も入手困難な演奏家の一人です。
そのポリーニは
「演奏家は曲を忠実に再現するのであって、演奏家自身の個人的な指向、音楽感、思想を出すべきではない。演奏家は楽曲の媒体でしかありえない」
と語っています。
ザッハリッヒだからといって、冷たいだけではなく、哲学的な内容まで深く掘り下げた演奏は大変な説得力を持って私たちに迫ってきます。
楽譜の中からいかにべートーヴェンのことばを読み込むか。
それを究極まで行っている演奏家ポリーニ。修行僧のような面持ちでピアノに向かう姿は鬼気迫るものがあります。
作曲家へひざまずくような尊敬が感じられるのです。
一方、韓国のヴァイオリニスト、チョン・キョン・ファは、自分の演奏スタイルについて次のように言っています。
「私の演奏法は、作曲家が作り出したものを、自分の感性によって作り変え、曲の中に自分の解釈を見つけ出すことです。」
彼女の研ぎ澄まされた感性が心を揺さぶり、引き裂き、一心不乱に演奏するその姿、その精神性の高さは、世界最高のヴァイオリニストだと思っています。
私が最も敬愛する演奏家の一人。
キョンファのベートーヴェンを聴いたとき、作曲家が「そういうやり方もあったね!」と喜んでくれそうな気がしました。
始めに楽譜ありきなのです。
しかし作曲家と会話する力が、演奏家には必要とされているのではないかと思います。
★関連記事
2010/04/27 「楽譜はどんな楽譜でもよいのか」