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分かりにくい文章ではブログを読んでもらえない

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昨日の記事で、歌詞の意味を正しく伝えるために、テクニックが必要だということを書きました。
日本語の文章においてはどうでしょうか?
 
藤沢晃治さん著 『「分かりやすい文章」の技術』は目からウロコの本でした。
 

・・・・・(以下引用)・・・・・     
 
「佐藤さんと鈴木さんの息子さんに会った」
 
この文章は3通りに解釈できます。
 
解釈① 佐藤さんと二人で、鈴木さんの息子さんに会った。
解釈② 佐藤さんと鈴木さんお二人の、それぞれの息子さんに会った。
解釈③ 佐藤さんと、鈴木さんの息子さんのお二人に会った。
さらに第4の解釈も可能です。
解釈④ 佐藤さんと鈴木さんの間に生まれた息子さんに会った。
 
三つ(四つ?)の解釈のうちどれなのか、読み手は迷ってしまいます。
 
・・・・・(以上引用)・・・・・     

言いたいことが曖昧で、なんだかモヤモヤしてしまいますね。
 
この文章の場合、「読点」「、」の技術が必要です
どこに読点を打つかによって意味が全く違ってしまう良い例ですね。
 
藤沢さんは、読み手の理解プロセスを「脳内関所」と「脳内辞書」という言葉で説明しています。
新しい情報は脳内関所で審査され、同じ種類の脳内辞書に収められます。
人は過去の記憶との一致が「分かる」につながるのです。
書き手は、何を言いたいのか事前分解し、脳内関所の作業が軽くなるようにしなければいけません。
 
藤沢さんは「分かりやすい文章は分けることだ」とおっしゃっています。
次はその良い例です。

 
・・・・・(以下引用)・・・・・     
 
「長いセンテンスも、話しているときならあまり違和感がありませんが、文章ではなるべく避けたほうが良いにもかかわらず、書いている時はなかなか気がつかないで、いくつかに区切っても差し支えないようなセンテンスをつなげてしまい、いつのまにか一センテンスが長くなって、句点「。」という切れ目で小休止できない読み手のイライラは溜まるばかりなのに、残念ながら、こうした文章を多くみかけるのが現状で、読み手の負担に気づかないこんな文章を理解しているのは、書き手だけでしょう。」
 
「脳内関所」が、いかに句点での小休止を欲しがっているか分かりますでしょうか。
この文章を、いくつかの短いセンテンスに分割してみましょう。
 
「長いセンテンスも、話しているときならあまり違和感がありません。文章ではなるべく避けたほうが良いのです。にもかかわらず、書いている時はなかなか気づきません。いくつかに区切っても差し支えないようなセンテンスをつなげてしまって、いつのまにか一センテンスが長くなってしまいます。句点「。」という切れ目で小休止できない読み手のイライラは溜まるばかりです。それなのに、残念ながら、こうした文章を多くみかけるのが現状です。読み手の負担に気づかないこんな文章を理解しているのは、書き手だけでしょう。」
 
・・・・・(以上引用)・・・・・     

 
高校生のとき、中上健次さんの本を愛読していたことがあります。
センテンスが長くて、本当に息切れしながら読んでいました。
しかし今は読んでいません。というか、どうしても読めません。体力が落ちたのでしょうか?
46歳で亡くなった中上さんの著書は、そのほとんどが体力のあるときに書かれたのでしょうね。内容の底知れぬ深さは天才です。
このような芸術文の場合、書き手の自由思想として句点を打っているので良いのだと思います。
 
藤沢さんの本を読んで、いかに考えずに文章を書いていたか良く分かりました。
今後は内容とともに、技術も磨いていければと思います。

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2010/4/1 「言葉の意味を正しく伝える技術」

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