言葉の意味を正しく伝える技術
私が指導を務めるコール・リバティスト、2010年3月27日の練習日記です。
秋島先生をお呼びしての稽古でした。
矢澤宰作詞、萩原英彦作曲の『光る砂漠』より「ふるさと」を練習しています。
歌には歌詞があります。
ラフマニノフの「ヴォカリーズ」のように、最初から最後まで「A~」だけで終わる曲もたまにはありますが、歌詞がつくと歌というのはとたんに難しくなります。
この日は、秋島先生に日本語を正しく伝える技術について教わりました。
曲の冒頭、
『ふるさとは ただ静かにその懐に わたしを連れ込んだ』
という歌詞があります。
ここの「ふるさとは ただ静かに」の「ただ」の部分。
「たぁ~だ」と[ダ]を弱めにアタックしないように歌い、「静かに」を印象深く言うために、「ただ」の後、一瞬息をつぐように間を置きます。
これを何も気にせず「たーだっ」と平らに歌ってしまうと、「ただ」が「タダ」「無料」のように聞こえ、まるで『ふるさと無料キャンペーン』のように響きます。
意味が全く違ってしまうというわけです。
それともう一ヵ所、
『生きた眼と心を持って わたしは入っていった』
という歌詞。
この「わたしは入っていった」の「入って」の歌い方ですが、
「はいぃ~って」というように、[イ]を長めにします。
こちらも同様に[イ]を短く歌ってしまうと『ハイって言った』というように、
「Yes・No」の「ハイ」のように聴こえてしまい、とんちんかんな内容になってしまうのです。
曲の一番のクライマックスで
『苔むした岩肌をたたき』という歌詞があります。
「苔がむす」の「むす」とは「生す」とか「結ぶ」などの意味からきています。
結んで、長く、永久に発展し続けることです。
「こーけーむーしーたー」と素直に歌ってしまうと、「蒸す」「煮る」「焼く」「揚げる」の「蒸す」に聴こえてしまいます。
「苔むぅ~し~た~」とニュアンスを持って歌うのです。
ちなみに、子供が生まれると「ムスメ」「ムスコ」と言いますね。
「ムス」は生まれるという意味も含んでいるのです。
また、『君が代』の「苔のむすまで」は苔が生えてくるまでの長い時間を意味します。
というように、言葉というのは、全てひらがなでしか聴こえませんから、強弱や長さ、時間、ニュアンスによって、本来の意味を確実に伝える技術が必要です。
よく分かっている日本語でさえ、このような問題があるのですから、外国語の歌はどうなるのでしょうか?
私たちが歌う外国語は外国人の皆さんにはどう聴こえているのでしょうね。
なんだか恐くなってきました。
無責任にカタカナ読みで歌ってはいけないですね。
テキストを相当深く読み込んでから歌うことを肝に命じなければと思いました。