絶対的に練習できない領域で勝負する難しさ
ゴルフの石川遼さんのさわやかなプレーに日本中が元気をもらえています。
しかし、その影には人並みはずれた謙虚な姿勢と努力があるのです。
彼は、試合が終わって疲れていても、ホテルの壁に向かって何度も何度もパットの練習を納得いくまで繰り返します。
カベから3~4メートル離れた地点からボールを転がして、壁に当てずに壁のすぐ手前でとめるのです。
こういう話は大好きで、本当に感動してしまいます。
昨日たまたまテノールの声楽家と話をしていたので、一日どのくらい練習するのか聞いてみました。
T(テノール)「う~ん、マックス2時間だね」
N(私)「ピアノみたいに難しいところを反復練習するとかできない?」
T「いやあ、ピアノみたいに集中してできないね。
難しいところ、特に高い声を出来ないからって繰り返し練習すると事故が起きやすい。 高い声をつかんでいる人でも練習でそんなに高い声やらない。
本番で一発勝負みたいなところがある」
N「こわ~い・・・・」
T「歌の人は演奏会で最初の一声がものすごい怖いんだよ」
N「度胸ある・・・。」
T「高い方も調子のいいとき悪いときあるからね。
練習は様子みながら、あまりやりすぎないことだね。
適当なところで加減することが大事なんだよ。
いい加減を覚えるっていうかな。
ここぞというところだけ。後は抜くところはしっかり抜く。
だからさ、歌の人って全てにおいて『良い加減』でしょ?」
ピアノは、出来ないところは何回でも練習できますが、歌の人はそうはいかないのですね。
以前の記事でもとりあげたマリオ・デル・モナコも大変なプレッシャーをはねのけて舞台に立っています。
それが音楽に表れているし、そんな必死の姿に聴衆は感動するのですね。
歌の人が神格化されやすいのはそういうところからきているのかもしれません。
それでは今日は私の大好きなナタリー・デセイのソプラノで、バーンスタイン作曲「キャンディード」から「Glitter and Be Gay」を聴いてみることにします。
デセイは現在世界最高のコロラトゥーラ・ソプラノ。
コロラトゥーラは最も難易度の高い演奏技術を必要とします。
特に、3:48以降はコロラトゥーラの独壇場。
セリフあり、演技ありで、最高に楽しく、そして美しい。
2度の声帯手術を乗り越えて舞台に立つデセイ。
これだけの高音を出し続けていたら、いつかは天上の声が聴けなくなってしまうのではないかと思ってしまいます。
舞台以外ではわがままで有名なデセイですが、私たちにそれ以上の幸せを与えてくれるのですからそのくらいなんでもないことです。
これからも少しでも長く歌い続けてほしい、と願わずにはいられません。