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鳥のように高いところからの俯瞰はできませんが、ITのことをちょっと違った視線から

Twitterこそが常識だ

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 オリンピックの結果やらも、ほとんどTwitterから情報を得ているかも。

 さまざまな情報がTwitter経由で飛び込んでくる。たんに何かが起こった、こういう結果になったという情報だけでなく、その情報に対する情報発信者のコメントなり意見なりも、一緒に得られる。ここ最近ではその量が多いので、なんだかTwitterが情報の発信源であり、信用出来る情報の宝庫だと思えてくる。まさに、Twitteから得られる情報こそが、世の中の常識というか主流の考え方なんじゃないかと思えてくる自分がいる。これは錯覚なのか。

 ちょっと一歩引いて考えてみると、得られる情報が常識だと思わせる要素がTwitterにはありそうだと気づいた。その理由の1つが、Twitterの自浄作用だ。間違った情報が流れると、TLにはあっという間にそれを否定するつぶやきや鵜呑みにしないようアラートするつぶやきが、すぐに現れる。なので、自分が冷静さを失っていなければ、間違った情報に翻弄されることは少ないのだ。

 そしてもう1つが、フォローしている/されている人の存在。自分で選んだ人たちなわけなので、意見やセンスの異なる人ももちろんいるけれど、なんとなく感覚が近い人が多い。そのため、多くのつぶやきには納得出来るものが多いし、たとえ反論しても最終的には議論が落ち着くことも多い。つまり、フォローしている/されている人たちとは常識感覚が近いがために、彼らが発するつぶやきが信用できると思える理由にもなっているのだ。

 Twitterの情報こそが常識だと思われる最初の理由はまあいいのだけれど、2つ目の理由はちょっと用心する必要もある。フォローしている人は、世間一般を代表しているとは限らない。もしかしたら自分の偏った意見に近い人たちだけをフィルターしてしまい集めているかもしれない。同じ意見の人同士で会話しているのは気楽だし、けっこう楽しいものだ。それを世の中の常識だと錯覚しているとしたらちょっと危ないかも。そうならないようにTwitterを使いこなすのも、これからはITを使って情報を扱う上では必要なスキルの1つになるのかもしれない。

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