地方自治体のDXでもデータこそが重要、矢板市文化スポーツ複合施設におけるデータ連携基盤とアプリケーション開発の取り組み
栃木県北部に位置する矢板市。北西部には高原山系の山々があり、面積の6割ほどが山林だ。矢板市内には自動車産業を支える自動車関連企業が複数立地している。またリンゴの生産量は県内1位となっている。令和元年東日本台風(台風19号)では、栃木県矢板市も大きな被害が発生した。市文化会館の地下配電室が浸水、電気や冷暖房などの設備が壊れた。復旧の見通しが立たないことから、市は復旧を断念、移転整備を決める。
令和3年には地方創生拠点整備候補金が採択、矢板市文化スポーツ複合施設として再生されることになり、令和6年4月1日に開業する。鉄筋コンクリート造り2階建ての施設の延べ床面積は3,308.70平米、多機能ホール、アリーナ、トレーニングエリアや研修室等がある。AIカメラが設置されており、映像を自動で撮影、編集、配信できる。4KカメラやIT機器を活用し、データを運動や健康づくりに活用することが可能だ。矢板市文化スポーツ複合施設は、非常災害発生時に避難場所としても使用される。
未来技術を活用した次世代型の体育館
矢板市ではこの施設に加えて温泉宿泊施設なども合わせ、スポーツツーリズムの拠点にしようとしており、観光客、市民の文化、スポーツ活動の拠点としようとしている。さらに前述のように災害時には防災拠点にもする。多目的に使える施設にするために、未来技術を活用した次世代型の体育館として整備している。
そのために前述のようにAIカメラなども導入しているが、取り組みとしてはデータ連携基盤から整備しているのが特徴だ。これを整備しインターフェイスを持つことで、さまざまな機器やアプリケーションをつなぐようにしていると言うのは、矢板市 教育総務課の石川民男氏だ(所属肩書きは、取材時の2024年3月時点)。
AIカメラなどの未来技術的なもの利用すれば、そこでさまざまなデータが生まれる。多くの場合、新しい技術を活用するようなものは、スタンドアロンの仕組みで実現されその中で完結した形になるだろう。そうなってしまえば、せっかく獲得したデータはその仕組みの中でしか活用できない。これに対してデータ連携基盤を1つのデータベースとして整備することで、データを活用して市民に恩恵を与えられないとならない。石川氏はそう考えて、まずはデータ連携基盤を整備することにする。そこで集めたデータを匿名化なりで安全性を確保し、企業や研究機関などに渡しフィードバックを受け、市民に価値を還元する。
集められるデータを使いEBPM(エビデンス・ベースド・ポリシー・メイキング:証拠に基づく政策立案)をすることは重要だ。とはいえ、多くのEBPMで決められた政策はほぼオリジナリティがないと、石川氏は言う。テータを用いて独自のものを進める必要があり、そのためには施設を作るだけでなくデータ連携基盤こそ重要だったと言うわけだ。
AWSを活用したデータ連携基盤の構築とアプリケーション展開
矢板市文化スポーツ複合施設を造るにあたり、AWSのサービスを組み合わせてデータ連携基盤を構築している。構築を担ったのが、独立系SI企業のTDCソフトだ。TDCソフトでは、データ連携基盤の上に2つの専攻検証用のアプリケーションを提案し、構築している。その1つがウォーキングアプリケーションの「矢板ウォーク」だ。
これはウォーキングアプリと地域マップアプリを融合した、街歩きを楽しみながら健康づくりができる矢板市オリジナルのアプリケーションで、スポーツツーリズムを実現するための1つのアプローチにもなっている。歩数、歩行距離の記録、表示するウォーキング機能に、矢板市内の観光スポットや飲食店などの情報を掲載した地域マップ機能を融合させている。将来的には矢板市文化スポーツ複合施設や温泉宿泊施設などを含む、推奨するウォーキングコースの提案なども構想には入っている。
もう1つが災害時に矢板市文化スポーツ複合施設が避難所となった際に利用する「避難所アプリ」だ。これは災害時の避難所へのチェックインをスマートフォンで行えるようにするものだ。避難所を運営する職員の事務負担を軽減し、防災データの共有、活用をする仕組みとなる。
避難所アプリは、シングルボードコンピュータのRaspberry Piを使って実現されている。災害時用のクラウド型のチェックインアプリケーションはほかにもあるが「災害時にはネットワークや電源が遮断されていることを想定し、Raspberry Piの採用によりスタンドアロンで動くようにしています」と説明するのは、TDCソフト セールス&マーケティング本部 マーケティング・セールス部長の福田絢一氏だ。
スマートフォンの避難所アプリでチェックインする際には、まずWi-Fi接続用のQRコードを読み込み、Wi-Fiのアクセスポイントとして機能するRaspberry Piに接続する。接続できたら、もう1度別のQRコードを読み込んでWebアプリケーションの画面にアクセスし、名前や住んでいる地域などの情報を入力してチェックインする。Raspberry Piに蓄積されるチェックインの情報は、PCもまたWi-Fi経由でRaspberry Piに接続し、管理画面に入ることで閲覧可能となる。管理画面では、CSVファイルなどにも出力できる。Raspberry Piがインターネットに接続可能となれば、蓄積したチェックインデータなどはデータ連携基盤なりにアップロードすることとなる。
災害時、が避難所に避難しているかの管理は極めて重要だが、その管理は難しいものがある。紙での管理となれば、タイムリーな情報更新は難しく、現時点で誰がいるかを把握するのはままならない。市本部やメディアなどから問い合わせがあっても、その時点の正確な情報を伝えるのは難しい。
災害発生時に一旦避難所に来ても、中には自宅に戻る人もいる。土砂崩れや水害などである地域に避難命令が出た際には、その地域の住人が全員確実に避難しているかを行政では把握したい。それができないと「まだ避難地域に人が残っているかもしれないので確認しに行くとなり、それが二次被害を生み出しかねません」と石川氏。実際に災害時に避難所を運営したことがある人は、この重要性が分かるでしょうとも言う。
まずはデータ連携基盤を、そこから優先順位に基づくアプリ開発を
今回の避難所アプリは、Raspberry Piで実現したことでハードウェアは極めて安価だった。避難所となる施設全てに配置しても、大きなコストは発生しない。またWebアプリケーションなので、スマートフォン側に何らかアプリケーションを入れる必要もない。Raspberry Piのハードウェアは、場合によってはモバイルバッテリー程度でも数時間稼働できる。運用側も面倒な設定などは必要とせず、スキル的にも業務でPCが利用できれば問題なく使えるだろう。
今回の取り組みで興味深いのは、新規施設のための避難所アプリ構築をしようとしたのでではないことだ。先にデータ連携基盤があり、新たに矢板市文化スポーツ複合施設ができる状況の中、必要なアプリケーションは何か、それをどう構築すべきかを考え避難所アプリに至っていることだ。昨今、新たなアプリケーションを作るとなると、クラウドベースのアプリケーションになりがちだ。ただしそれを使うには、電源やネットワークを確保しなければならない。災害時の状況を想定して、何が最適かを判断しスタンドアロンでも動くようにした。TDCソフトでは今後、今回のノウハウを他の市町村などに横展開で提案することにもなりそうだ。
災害対策を考えた場合は、矢板市で閉じていたのではだめだと石川氏は指摘する。災害による被害は、市区町村の境目を意識しはしない。周辺の地域と連携することで、より現実的な災害対策ができることとなる。そのためにも矢板市という単位でデータ連携基盤が閉じるのではなく、他の地域と連携できる仕組みにしていかなければならないとも石川氏は言う。その音頭取りを、県やデジタル庁のような上位の組織が率先して進めることも期待される。
矢板市では当然ながらDX戦略を立てていて、実現したいことに防災やスポーツツーリズムも入っているだろう。それらを個別の目的に合わせ予算取りし、デジタル化なりで順次進めると、往々にしてサイロ化したシステムが出来上がりやすい。まずは全てを包括するようなデータ基盤を作り、それを基にその上で実現したい目的に合わせて優先順位を決め、必要なアプリケーションを作る。そのようなアプローチが取れれば、どの地方自治体でも苦労している将来の本質的な変革を見据えたDXの取り組みも、前進しやすいのではとも思うところだ。