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IT業界のコメントマニアが始めるブログ。いつまで続くのか?

Google・ブック検索の謎(長文)

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ふたたび免責エントリへリンクしておきます。以下、本当に個人的な意見として書いておりますので、くれぐれもご了承ください。あるいは、「お前はバカ、素人はこれだから困る、正しい理解はこうだ」といったご指摘でもあれば、喜んでお聞きしたいと思います。なにしろ私の予想に反して、出版業界からも疑問の声が聞こえてきません。それどころか、日本文藝家協会が作業代行を検討しているといった報道などもあり、なんだか「当事者が気にしないことを周りで騒ぐ奴」という様相を呈しています。とはいえ、疑問は解決しないどころかますます深まっている状況です。

先日のエントリを投稿してから1週間が経ちましたが、このエントリを投稿した後に、公式な問い合わせ先にEメールで質問してみました。そして、次のエントリは、その回答を元に書こうと思っていました。問い合わせページには「迅速に返答します」と書いてあるにも関わらず、1週間が経過した今なお何の回答もありません。電話でも問い合わせてみましたが、さんざん自動応答を聞かされた後に、やっと担当者と話せるかというところで、「日本語の話せる担当者がいない」という応答が返されてきました。ここで、2営業日以内に折り返し連絡をもらうことになったはずなのですが、やはり連絡がありません。やむなく、英語での問い合わせ先にも連絡してみましたが、それでも回答がありません。前回同様、賛否には触れずにすませたいところなのですが、こうした事情からは、やや否定的な意見に傾かざるをえないところです。なお、「この和解により日本の出版業界が壊滅的な打撃を受ける」と煽ることが目的ではありませんし、そうなることもないでしょう。あくまで無視できない疑問点だという前提です。

前エントリでは触れなかった点も含めて、改めて疑問点をまとめてみます(前回と重複している部分あり)。公式な問い合わせ先からも返事がないので、タイトルはあえて「謎」としました。

  1. 和解内容はベルヌ条約の無方式主義に反する
  2. 絶版の定義が米国基準
  3. 絶版の判断が「著作」ではなく「書籍」
  4. 米国外からの利用が禁じられる妥当性がない
  5. 深刻な誤訳
  6. 申請者の妥当性をどう検証するのか
  7. 出版権との関係
  8. どうするべきか

以下、詳しく見ていきます。

1. 和解内容はベルヌ条約の無方式主義に反する

一番大きな謎は、ここです。詳しくは wikipedia の説明に譲りますが、著作物を保護するために「手続き」が必要であるなら、それは方式主義であるとしか言えません。そして、今回の和解では、著作者の意思により表示使用を禁止させられることになっています。一方、ベルヌ条約の第5条(2)には「権利の享有及び行使には、いかなる方式の履行をも要しない」と無方式主義をとることが明記されています。米国がベルヌ条約を批准したのは、ほんの20年前ですが、現時点では無方式主義を取るか、ベルヌ条約から離脱するというのでもなければ、ベルヌ条約への違反する行為だというしかありません。

誤解のないように申し添えておくと、ベルヌ条約の件に限れば和解のレベルが“緩い”ということは問題ではありません。ベルヌ条約は海外の著作物を国内の著作物と同等以上に保護すればいいわけですから(内国民待遇)、保護のレベルが多少緩くても問題はありません。たとえば、日本のように(違法にアップロードされたものかどうかに関わらず)私的複製を明文化していたり、フランスのようにパロディを著作権侵害でないと明文化している国があります。こうした国では、著作権者が「私的複製するな」とか「パロディに使うな」と言っても禁止できないわけです。

ところが今回の和解では、デフォルトでは絶版書籍は勝手に公開したり販売するけど、連絡があった場合だけやめるわけです。デフォルトでは厳しくしておくが、申請があったら緩める(=使用許諾の形式)ということでなければ、「海外の著作物を国内の著作物と同等以上に保護している」とは言えないでしょう。なにしろ和解契約書は英文です。読まずに見送った人やそもそもちゃんと見ていない人は、(不参加の意思表示をしなければ)参加したとみなされてしまい、本当は使ってほしくないと思っても、使われてしまうおそれがあります。さらに「使ってほしくない」と表明するためには、和解に参加しなければなりません。和解に疑問を持ち、和解から除外すると、表示使用の禁止を指定できなくなるのです(除外した人の関連書籍を入力することはできるが、それらの表示使用が停止される保証はない)。

もちろん、「これだけインターネットの普及しているのに、ベルヌ条約の規約にこだわるのは古臭い」という方もいらっしゃるでしょう。私も、そのことまでを否定するものではありません。しかし、すでにほとんどの国が批准しており、規約の変更もままならないからこそ、WCTやWPPTといった形で、新たな国際的な著作物の利用を規定してきたという経緯があります。“ベルヌ条約により”和解の影響が国外の著作物にも及ぶというなら、「ベルヌ条約の改訂をやり遂げる」とか「改訂できなければ脱退する」といった意思を表明してほしいところです。このままでは国際条約を無視して和解を進めようとしている、としか受け取れないのが残念です。

2. 絶版の定義が米国基準

前エントリに書きましたが、たとえ日本で普通に流通していても、米国の書籍流通で扱われていなければ絶版(Out-of-Print)扱いです。amazon.co.jp を使って米国からでも日本の書籍を取寄せられるということは意味はありません。後述する誤訳のため、私も当初は誤解していたのですが、和解サイトで検索されるほとんどの書籍が実際に絶版扱いとなっています。また、数は少ないのですが、デジタルデータとして取り込まれている(または予定のある)ものがあります。具体的にSF御三家として知られる小松左京氏、筒井康隆氏、星新一氏について調べてみました。

著者名=「小松左京」で検索すると161冊が見つかり、「日本沈没」(4091820476)を除くすべてが絶版扱いとなっています。さらに、デジタル化(予定を含む)には33冊が該当しているので、これらは5月5日までにデジタル化される予定です。これには、昨年発売された『小松左京自伝』が含まれます。また、1998年のハルキ文庫から発売された『首都消失』はデジタル化されていませんが、1986年に徳間文庫から発売された『首都消失』(下巻のみ)はデジタル化される予定です。

著者名=「Yasutaka Tsutsui」で検索すると287冊が見つかり、うち269冊が絶版扱いです。デジタル化には56冊が該当します。これには、文庫として発売されている『富豪刑事』が収録されていると思われる単行本『筒井康隆全集 (20)』が含まれます。

星新一氏については、「Shinichi Hoshi」で検索すると14冊見つかり、すべてが絶版扱いです(うち1冊がデジタル化に該当)。しかし、検索には4文字以上入力する必要があるので「星新一」では検索できませんでした(こんな状況で、星氏の遺族の方は書籍をすべて追跡することができるのでしょうか)。

3. 絶版の判断が「著作」ではなく「書籍」

これも前回書いたことですが、絶版かどうかという判断は書籍ごとに行われています。したがって、ハードカバーで出された著作が、のちに文庫で出版された場合でも、ハードカバー版は絶版とみなされるようです。どうやって複数の書籍に掲載された「ひとつの作品」を判別するのか、わかりません。むしろ、著者が明確に指定しない限り、確実に追跡することなど不可能な気がします。あるいは『57人の見知らぬ乗客』のように多数の著者による作品が収録されているものは、個々の作品の著者名は検索できません。

はたして、和解サイトに書かれているとおり「ひとつの作品に対する1回の支払い」を確実にする方法があるのでしょうか。

4. 米国外からの利用が禁じられる妥当性がない

報道によれば「米国における和解なので、利用も米国に限られる」とされています。米国で「絶版」とみなされたところで、どうせ米国内の話だから、日本市場にはたいして影響はないという人も多いかもしれません。しかし、なぜ国外から利用できないのでしょう。米国の著作権団体と「米国外で使用させないことを条件に、著者に断りなく使用することを許諾する」という形で和解しているならわかります。しかし、それなら使用許諾の条件を示しているだけで、国外の著作物には関係ない話です。

今回の和解が国外の著作物にまで影響するのは「フェアユースとしての合意だから」であるはずです。つまり、米国において「絶版著作物の公開がフェアユースである」というのであれば、それを公開したり、販売するというものについて、国外からの利用を制約する理由はありません。米国で適法に公開されているものなら、国外からアクセスできても何ら違法性はありません。むしろ「米国内で絶版だからという理由で、米国内だけで利用する」ということであれば、(国外の著作物を犠牲にして)米国だけが利点を享受することになります。その意味では、米国外からの利用を禁止すべきでないという見方もできます。

5. 深刻な誤訳

和解サイトは、それなりに読み応えのある分量の説明があるので、ちょっとした誤訳や書き間違いが散見されるのはしかたがないかもしれません。たとえば、和解の放棄について書かれた FAQ では「第X条に記載」という表現がありますが、この第X条は和解契約書のどこにも見当たりません。

しかし、非常に深刻な誤訳があります。書籍検索を使ってダウンロードする一覧表(Excel 形式)の中には、次のような項目があります。

現在「市販中」と区分されている書籍については、和解していますか?

ほとんどの書籍で、これは「いいえ」と記されています。自分は和解したつもりはないのだから「いいえ」で当然だ、と思ってはいけません。私も最初はそう思ったのですが、このサイトで英語を指定してダウンロードしなおすと、この項目には次のように書かれていることがわかります。

Is the book currently designated as "Commercially Available" under the Settlement?
(和解に基づいて、この書籍は「市販中」と区分されていますか?

つまり、この項目はほとんどの書籍が絶版扱いされていることを意味しているのです。最初の問い合わせメールで指摘していますが、いまだに修正されていません。期限が来るまで放置されるのでしょうか。

6. 申請者の妥当性をどう検証するのか

やや公開することをためらう話ではあるのですが、そもそも和解サイトで、(和解に参加した上で)書籍の除外/除去を指定するのは、誰でもできるようになっており、著作者や出版社が妥当であるかどうかを判別する仕組みはありません。したがって、和解に興味のなさそうな出版社がいれば、誰とも知れない人が勝手に和解を受け入れたり、その対価を受け取ったりすることができてしまうような気がします。少なくとも、そうした不正に対する対策らしきものが考慮されているように見えません。

ドメイン名であれば、ドメイン名紛争処理方針というものがあり、(gTLD の場合)WIPO の裁定を受けるという仕組みがあります。個別に裁判を起こすこともできますが、それよりもずっと安く調停を受けることができます(その際に弁護士を雇えば、それなりにコストはかかるでしょうが)。この和解において、悪意の第三者が本来の著作者よりも先に申請を出していたら、その支払いを止めることはできるでしょうか。複数の申請者がいた場合、管理画面には複数の名前が表示されますが、誰が正当な申請者であるかをどのように判断するのでしょう。各申請者間でやりとりするしかないでしょうが、その場合、他の申請者の連絡先がわかるわけでもありません。そもそも、版権レジストリを通じた支払額から推測すれば、弁護士を雇ったり、個別に裁判を起こすということなど現実的ではないでしょう。

7. 出版権との関係

申請者が悪意の第三者でない場合にも問題があるかもしれません。日本書籍出版協会が、典型的な出版契約書を公開していますが、日本の場合、著者はある著作について、出版社に対して独占的な出版権を設定し、どちらかから事前に通知しなければ更新されます。和解による支払い比率(63%)が、通常の印税(10%)に比べて魅力的であるという人は、おそらく出版社に勤める編集者の人が校正を手伝ってくれたり、書籍のレイアウトや表紙の制作、ある程度の部数を印刷する費用を出してくれたり、宣伝してくれるといった活動を何もしてくれなかった、かわいそうな経験の持ち主なのでしょうが、普通は、出版社側でそうした努力をする見返りとして、出版権を持ち、書籍を販売できるのです。ですから、米国で販売されていないからといって無断で公開されては困ると思い、表示使用を禁止してしまうかもしれません。

一方の著者は、初回の印税を貰って、増刷する可能性もなければ、出版社が在庫を抱えていようが気にしないかもしれません。とくに、ネットで著作物を公開することは宣伝効果になるといった経済理論を理解しない出版社は、著者に嫌われているかもしれませんから、著者が勝手に表示使用を許可してしまうかもしれません。このような(出版権を持つ)出版社と(著作権を持つ)著者の間で対立が起こったら、どうなるでしょう。表示使用はフェアユースの一部ですから、出版権の設定にはあたらず、著者が表示使用を許諾して小銭を稼ごうとしても契約違反にならないのでしょうか。もっとも、現実には、出版社と著者との力関係で決まるのでしょうが。

8. どうするべきか

和解内容が気に入らないといって、和解から自身を除外してしまうと、和解そのものについて異議を申し立てるには、独自に裁判を起こすしかなさそうです。これはほとんどの著者にとって現実的な選択肢ではないでしょう。かといって和解に参加することは、この和解が成立した場合の当事者になってしまいます。なかなか難しい選択肢ですが、おそらく和解集団にとどまった上で、和解に異議を申し立てるのがもっとも現実的ではないかと思います。

FAQ には和解に異議を申し立てる方法が書いてあります。私の問い合わせに返事がないのは、「質問」ではなく「異議」だと捉えられたのかもしれません。これは、当然、英語で書かなければ読んでもらえないでしょう。できるだけ頑張って書いてみますが、著者というにはおこがましい人間がひとり意見を述べても受け入れられない気もします。もう少し出版業界で真剣に取り上げて欲しいと思っているのですが、いかがでしょうか。

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