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少し“ずつ”増加する“づつ”

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いしいひさいち氏の漫画によく出てくる表現なのですが(といいますか、あちこちで見かけるのですが)「少しづつ」の「づつ」は歴史的仮名遣いであり、現代かな使いでは「少しずつ」が正しい表現です。誤字情報を集められている「誤字等の館」に詳しい説明がありますが、私も以前より多く目にするようになった気がします(ここでも、けっこう見つかりますが^_^;)。

「少しづつ」も、かつて正しい表記であったことから、現代でも許容範囲とされているそうですが、「ずつ」で育った世代としては(←若い世代とは言いません)、「づつ」という表現には違和感があります。IME でも「すこしずつ」だと「少しずつ」になりますが、「すこしづつ」だと「少し筒」になってしまいます。「づつ」を使っていた方は、これを機に「ずつ」にしてみませんか?

※本文中、「旧かな遣い」→「旧仮名遣い」←「歴史的仮名遣い」、「違和感を感じる」→「違和感がある」に修正しました(コメント欄をご覧ください)。

Comment(11)

コメント

Azukian

※「旧かな遣い」と呼ばないで。
 
これって、学校の試験では×をつけられる問題ですね。
(あるいは減点対象になる可能性大)
(古文の科目を除いて)
 
では、
「いづれ」も、同じように違和感を感じますか?
これも、歴史的仮名遣で、現代仮名遣いでは「いずれ」と書けと言っています。
 
○「いずれの案を採用すべきか」
×「いづれの案を採用すべきか」
 
仰るように、「~づつ」だと、「~筒」となってしまうのですが、
「いづれ」「いづこ」については、ちゃんと変換してくれます。
(IME2003の場合・・・いづれにせよ、ひらがなのまま使うので、変換する必要もないのですが)
 
私は、「~ずつ」については現代仮名遣いを用いていますが、
「何れ」「何処」に関しては、意識的に、「いづれ」「いづこ」と表記しています。
むしろ私は、「いずれ」と書く方に違和感を持ってしまい、どうしても馴染めないからです。
 
逆に、「読みづらい」や「分かりづらい」を、「読みずらい」「分かりずらい」と書く人もいますが、
こちらは明らかに間違いです。
漢字で書けば「~辛い」なので、「~づらい」が正しいのですが、
現代仮名遣いのルールでは、必ずしも表記が語源に結びついていない場合があり、
こういう混乱が生じる、弊害のひとつだとも思っています。
 
  新妻 ⇒ にいづま
  稲妻 ⇒ いなずま
 
  黒尽くめ ⇒ くろずくめ
  結構尽くめ ⇒ けっこうずくめ
  愛想尽かし ⇒ あいそづかし
 
などのように、同じ漢字使ってるのに、なぜ読み仮名が違うの?と思うこともあり、
こういう、語源を無視し、暗記をしなければ使えないルールっていうのは、どうなのか?
ということで、
歴史的仮名遣だから間違いだと言われることに、少々、異論があったりします。

なつみかん

現代日本人は「正書法」の観念が希薄すぎると思います。

mohno

> 旧仮名遣い

すみません _o_ 本文修正しました(取り消し線じゃなく注釈にしました)。しかも、漢字変換で「仮名遣い」と出てきたものを、わざわざひらがなに直していました。ついでにトラックバックで指摘された「違和感を感じる」についても、直しました。日本語を取り上げたエントリにしてはお粗末でした。オハズカシイ。

> いづれ

これは違和感があります。

> 歴史的仮名遣だから間違い

本文に書いたとおり(間違いではなく)許容範囲なのだそうですが、たとえば勤務先には日本語に関するガイドラインがあり、そこには現代仮名遣いを使うこと、という基準があります。おそらくそのようなガイドラインが使われていると思われる、記事や広告文などにも登場するのは大変気になります。
逆に、たとえば、いしいひさいち氏の漫画で「ずつ」が使われると、それはそこにある雰囲気に対して適切でないと感じます。芸術作品や個人の表現として意図的に使うことまでは否定しません。

別の話で、「全然」を肯定文で使うことに違和感を持つ方もいらっしゃるようですが(最近買った学研の付録にもありました)、辞書を見る限りでは“全然大丈夫”なようです。(←社会人になってからの知識ですが)

「食べれる」「来れる」などは“言葉の変化”として受け入れられているようですが、個人的には好きではありません。これこそ“好み”の問題でしょうね。とりあえず、あのコンビニには行かないぞ、と抵抗するくらいですが^_^;

きうかな

私は現代仮名遣いの世代ですが、歴史的仮名遣いの書などに触れる機会が多々あり、逆に「ずつ」や「いずれ」といった表記に違和感を覚えます。
現代仮名遣いは現代日本人の使用する書き言葉の基準にはなっていますが、それのみを以て仮名遣いの正誤を評価してしまう考え方には、、、違和感があります。

Azukian氏の指摘されたのは、「旧仮名遣い」ではなく、「歴史的仮名遣」と呼べ、といふことではないかと思ひます。
そもそも、「新かな」とか「旧かな」とかいふ呼び方は、「新字新かな」を作つた人たちによるイデオロギー的な呼称です。
「づつ」は、「かつて正しい表記であった」と書かれてゐますが、今でも「正しい表記」です。これを機に、「づつ」を使つてみては如何ですか?

mohno

皆様、コメントありがとうございます。(エントリ修正しました)
まず、いしいひさいち氏の漫画もそうですが(←こだわるようですが)、場面に応じた“意図的”な使用は否定しません。
上記のとおり、(我々の公式サイトも含め)現代仮名遣いを使うというガイドラインがありそうな場面で使われているということは、特別な意図なく使われているのではないか、それは直した方がよいのではないか、と考えています。

ROSAROSA

意味どおりに解釈すれば、すこしづつが正しいのではないでしょうか。読みづらいと同じく「少し」+「つつ」で、つつは「~しつつ」のつつであり、思いつつ、動きつつある、過ぎつつある、〇〇しつつあるの意味で、時間とか場所とかがだんだん経過していく様を表している言葉であって、現代表記は単に音をそのまま表現しているだけで、元々の意味を考えていないと思っています。だから私は少しずつに非常に違和感を覚えています。

mohno

ROSAROSA さん、コメントありがとうございます。
歴史的には、それでよいと思いますから、“文学作品”で使うことを否定するものではありませんが、「現代仮名遣い」では「ずつ」と決まっているので、(文学的な意図を持たない)“説明文”には不適切ではないか、という意味です。

INU

「づつ」の増加、本当に不思議です。私は現代仮名遣いで学んだので、むしろ違和感があります。
歴史的仮名遣いで学んだ世代の方ならまだ理解できるのですが、そうでもない若い世代にも多いですよね。なぜ学校で習ったとおり書かないのでしょうか。「違和感がある」と言うだけの理由で、勝手に表記を変えてしまうことに抵抗がない人が多いことを不思議に思います。あえて「少しづつ」と表記する方もいらっしゃるようですが、多くの人はとくにこだわりもなく、曖昧な記憶で書いてしまっているのかな、と思います。
私は「いづれ」「いづこ」は、現代仮名遣いの文章に出てくると、どちらも違和感がありますね。

すこしづつ

言葉は生き物であることも忘れてはなりません。神様ではなく人間が作った正書法にあまり杓子定規にこだわる意味は無いでしょう。正書法にこだわったら、新しい漢字も生まれてこないでしょう。人間の作った規則を楯にして、心を失って、マスコミは交通事故被疑者を「さん付け」したのです。

匿名

日本語の成り立ちを知らない
バカばかりだな

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