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緩い人間関係の時代を生きていく

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ohitori_sama.jpg私が昔所属していた某大企業の同期入社の友人達とは、今でも交流があって忘年会シーズン等に会って飲んでいます。

そこで聞く話では、今の時代、慰安旅行も無く、同僚と仕事帰りに飲みに行く機会もほとんど無くなってしまった、と言います。

仕事を終えた後に同僚と一緒に飲みに行くくらいなら1人で店や自宅で飲む、1人でカラオケに行く、1人で鍋料理をつついて食べる、という時代です。

それが良いのか悪いのかは別にして、私たちは現在、こういう時代を生きているということです。

私が前述の会社員時代には、1ヶ月の集合研修をトータルで6〜7回くらいは受けてきました。
その間はずっと4人部屋の寮に入って毎日寝泊まりを繰り返したのです。
食事もお風呂も酒を飲むのも毎日、毎回一緒です。
たまの週末の休みまで、一緒に行動して街に繰り出していました(笑)。
あまりの濃い付き合いで、研修が終わってそれぞれの全国の職場に戻る時が来ると、物寂しさを感じたものです。兄弟、家族のような関係が築かれるからです。
また次の研修がやってくると、前回とは違う全国の初対面の社員と4人一緒の部屋に集められ、同じような生活が始まるのでした。

当時はそういう時代だったのです。

ところが現代の職場での人間関係は緩くなるばかりで、仕事は仕事、プライベートはプライベート、といった具合にしっかり区切られているという訳です。

おまけに異性に職場で掛ける言葉にさえ、非常に気を遣う時代となっていることは承知のとおりです。
一方で職場への出入りやコンピュータの操作など、セキュリティだけはどんどん厳しくも濃く管理をされるようになってしまい、上段に述べた緩さと窮屈さが同居したような何やら不思議な空間になっているかのようです。

何も慰安旅行や社内運動会などの行事を復活すべき、とまでは言いませんが、これだけは言えると思いますので、聞いていただきたいと思います。

それは、メールだけでは伝わらない人間と人間の意思疎通だけは、どれだけ便利で合理的な時代になっても欠かせない、ということです。

会って話さないと通じ合えないことがどうしても人にはあるということです。
伝えたつもり、言ったつもり、言った、聞いてない、といった些細なすれ違いはつきものです。
別に有ってもいいのです。

必要であれば、実際に会うなりしてリアルに話し合えば良いだけのことです。


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