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原子力論考(121)朝日新聞の吉田調書報道の取り消し記事に見る違和感

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この1ヶ月の間に原子力関係でずいぶん大きな動きがありましたが、昨日はその中でも特大級でしたので、久しぶりに原子力論考として載せます。

昨日、2014年9月11日、政府がいわゆる「吉田調書」を公開するとともに、朝日新聞社はその吉田調書に関して5月に報道した記事を取り消し、謝罪しました。

「福島第1原発の所員の9割が所長命令に違反して撤退」と報道した記事です。「命令違反」というのが実態とはまるで違うことは5月の朝日報道後即座に各方面から指摘されていたにもかかわらず、記事が取り消されるまで4ヶ月もかかったことがよけいに関係者の怒りを呼んでいます。

(1) この件について、今日の紙面に経緯報告記事(→デジタル版の該当記事)が載りました。本日9月12日朝日新聞朝刊2面、「記事取り消しが、なぜ遅くなったのか」の4,5段目です。その記事中にどうにも違和感を感じる記述があったので、ここに書いておきます。以下、twitterで書いたものをコピペしていくのでブログ記事としては読みづらいこと、ご容赦ください。

(2)まず4段目から一部引用→ "・・・この段階でも、東電の内部資料など「命令」を裏付ける資料などがあったことから、所員らが第二原発に退避したことを外形的に「命令違反・撤退」と解釈できると判断していた"

(3)さらに5段目から一部引用→ "取材班とは別の報道・編成局の数人が担当となり、吉田調書の内容と客観的な資料などをつきあわせて検討したが、外形的な事実に誤りはないとして「命令違反と解釈できる」との考えは維持した"

(4)注目したいのは、どちらでも「外形」という用語を使っていることです。これ、法律用語なんですが、「外形的に命令違反・撤退と解釈できる」・・・・という記述、これだけの重大記事ですから法務の人間もチェックした上での記事でしょう。であればなおさら、報道機関の言葉とは思えません。

(5)私は法律家じゃありませんが、「外形」の説明をします。間違っていたら法律家が訂正してくれるでしょう。たとえば仮に人物Aがバットで人物Bを殴った結果、その傷が死因となってBが死んだとします。この場合「外形的」には殺人罪が成立しますが、実際に殺人罪として裁かれるとは限りません

(6)というのは、「殺人罪」の構成要件には「故意」であることが含まれているため、「殺す気」で殴った場合にしか殺人罪は成立しないからです。しかしその「意図」は、通常、人の頭の中にあるものですので、「見かけ」からは判断できません。

(7)「外形」というのはあくまでも「他人が外から見てわかる行為や状態」を指します。外形的には殺人行為であったとしても、たとえば心神喪失状態であった場合などはその「故意」が存在しないため、無罪になることもあります。

(8)つまり、「外形だけではその行為の本質的な意味を認定することはできない」のが原則です。法律用語における概念ですが、ジャーナリズムの世界でも本質的に同じことが言えるでしょう。行為の意味は外形だけでは定まらない。意図を問わなければいけない。当たり前の話です。

(9)にもかかわらず朝日新聞は今日の釈明記事中で、「外形的に命令違反・撤退と解釈できる」と書いています。これは何を意味するのでしょうか。「外形的に・・・解釈できる」ですよ。「こういう可能性もあり得るよね」という仮説のひとつのレベルのものを確定的事実のように報道したわけです

(10)何度も書きますが、「外形的に命令違反・撤退と解釈できる」という記述、これはとうていジャーナリストの考え方とは言えません。難癖をつけて交渉を有利に進めようという、クレーマーの考え方です。

(11)しかも、朝日の釈明記事によると、5月に「命令違反」報道の後、8月18日の産経報道以降に改めて「外形的に命令違反・撤退と解釈できる」ことを確認し、さらにその後、取材班とは別の報道・編成局の数人も同じく「外形的な事実に誤りはない」としてその解釈を維持したわけです。

(12)朝日新聞は「外形」から導きうる無数の仮説のうちの1つを自社の解釈として採用し、それを「裏付けのある事実のように報道する」・・・そういう体質を持った報道機関だということでしょうか。今回の釈明記事の書き方からすると、それこそそう「解釈」せざるを得ません

(13)「外形的には○○と解釈できるから、その線で攻めろ」・・・というような言葉を、たとえば総会屋が言うのであればものすごく納得が行きます。まあ、新聞記者が明治時代には羽織ゴロと言われていたことを思えば、それほど違和感もありませんが・・・

(14)もちろん、記者のすべてがそうではないことは承知しています。まともなジャーナリスト精神のある朝日新聞記者さん、ここが踏ん張りどころです。今こそ力を発揮してください。以上です。

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