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「誰かが教えてくれることを信じるのではなく、自分で考えて行動する」ためには、矛盾だらけの「現実」をありのままに把握することから始めるリアリスト思考が欠かせません。「考える・書く力」の研修を手がける開米瑞浩が、現実の社会問題を相手にリアリスト思考を実践してゆくブログです。

技術屋と美術屋の終わらぬバトル?

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昔出した本の空きページに書いたコラムをなんとなく転載したくなったので、載せます。

「原子炉お節介学入門」という本を読んでいたところ、人間工学に関するおもしろい一節があった。要約をすると:

<引用>
 原子炉の操作員の誤操作を防ぐため、マンマシンインタフェースを考えて操作パネルの設計を見直した。実際の運転中に必要な操作をシミュレーションし、使 用頻度や重要性などに応じてボタンの位置を指定した。しかしそれが装置メーカーには不評だった。ボタンの間隔を変えたり、高さを水平に並べないで機能に応 じて上げたり下げたりすることには、信じられないほどの抵抗を受けた。
 ボタンはきっちりと水平に同じ間隔に並べたいというのだが、それをするとどのボタンも似て見えるため、緊急時には間違って隣のボタンを押してしまいかね ない。と言うことを何回説明してもなかなか納得してくれない。見た目にきれい、というのが設計の基本方針のようである。話にならない。
<引用終わり>

 私にも思い当たることがある。実際に装置を使う人間にとって操作しやすく事故を起こしにくいようなインタフェースはしばしばデザイン屋さんには不評である。実用的な理由のある装置設計に、見た目の美意識で口出しをされても困るのだが
 考えるために書く構造化チャートにも類似の問題はよく起こる。ある時、ある雑誌への寄稿記事で会計学の概念を説明するために一枚のチャートを使った。そ のチャートはいくつもの四角い箱の組み合わせで出来ており、高さや大きさが会計学上の厳密な意味を表すように私が執念をかけて書いたものだった。ところ が、それが実際に掲載された記事を見ると「高さや大きさ」がまったく意味を持たないように改変されてしまっていたのである。デザイナーさんが気を利かして 「美的にセンスよく」直してくれたらしい。
 な、なんてことを・・・・! と思っても時既に遅し(単行本収録時には修正した)。サイズは厳密にトレースするようにという指示をしておけばよかったのだが、当時は商業誌への執筆活動を初めたばかりのころで、そこまで気が回らなかった。
 なんにしても、「実用的に使いやすい」と「見た目にきれい」はしばしば矛盾する。技術屋と美術屋の終わらぬ戦いは今日も続いているのである。

まあ、「戦い」と言ってもべつにどちらかが勝つようなものではないので、双方の専門性をぶつけ合う中で、目的を達成するためのベストな案を作れればいいだけの話ではあります。そうすればみんながハッピーになれるので。

この話についてはUIデザインの古典的名著、「誰のためのデザイン?」 D・A・ノーマン著 が定番ですが勉強になります。

あ、他に良い本あったらご紹介ください(^^)/



補足:文中、「デザイン屋さん」というのは、「デザインの本質的役割を理解せず、自己表現に走るデザイナー」という意味に受け取ってください。「デザイン」という仕事の本質的ゴールはコメントで指摘されているように「問題解決」であって、アートではない、けれどそれが理解されていないことがしばしばある、という話です

補足2:↓こちらのブログに、この話題について勉強になる記事があります。
"米国のデザイン教育から学んだこと | freshtrax | btrax スタッフブログ"
http://blog.btrax.com/jp/2012/03/17/what-i-learned-from-design-education/
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