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「誰かが教えてくれることを信じるのではなく、自分で考えて行動する」ためには、矛盾だらけの「現実」をありのままに把握することから始めるリアリスト思考が欠かせません。「考える・書く力」の研修を手がける開米瑞浩が、現実の社会問題を相手にリアリスト思考を実践してゆくブログです。

ロジカルシンキングでは感情をくつがえすことはできない

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 こんにちは。文書化能力向上コンサルタントを本業にしつつ、原子力論考や憲法論議をするアマチュア安全保障論者の開米です。最近は写真もやっているのでこんな写真を撮ったりもします。

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 まあ、それはさておき。何の関係もない写真はおいといて、本題に入りましょう。

 今から約2年前、原発事故が起きてから間もないある日のこと、ある知人A氏のブログを読んでいて、ある記事が目にとまりました。

「みなさん、ぜひこれを読んでください。そして広めてください。原発でこんなことが行われていたなんて初めて知りました。もう原発はやめなければいけない」

 と、そういうコメントつきでリンクが紹介されていた、そのリンクの先にあったのは原子力関係では有名なデマ文書でした。

 ・・・・これはまずい、と私は思ったものです。

 A氏は私の古い知人でした。人間的に非常に好感の持てる人でしたし、ビジネス上でも優れた感性・判断力を持っていて実績のある人物でした。本も何冊も出していて大勢のフォロワーがいました。そういう人物が自分のブログでデマサイトの情報を広めているわけです。・・・・これはまずい。

 とはいえ、知らない人ならほっときます。しかし、かなりご無沙汰しているとはいえ、かつてお世話になったことがある人です。人間的には「いい人」なのも間違いありません。なので、ほっとくわけにはいかず、直メールでこっそりその文書がデマであることを教えました。

 しかしその後の展開は私がまったく予想しなかったものでした。

開米:Aさん、あれは有名なデマ文書ですよ
A氏:ネットでいろいろ言われているようですが、「原発を選択しない」という私の意見に変わりはないし、文書の真偽をいまさら調べようもないので、記事は取消しません
開米:「文書の真偽をいまさら調べようもない」・・・ですか。Aさんがそんなことを言うとは思いませんでしたよ。デマ情報を拡散する人物、と自分の読者にそう思われてもいいんですか
A氏:そうではなく、私の本意は、原発についての知識をしっかり身につけなければいけない。そっちのほうが重要でしょ? ということです。いまのままではあまりにもナイーブですから。電力会社や政府のいいように操られます。

 そして私はA氏を説得することは諦めました。おそらくA氏にとって私の意見はそれほど信用がおけるものではなかったのでしょう。であれば説得しようとしても無駄というものです。私は少なくとも、「デマですよ」ということを伝えるきっかけは作りました。それは10年前の縁に対する最低限の義理を果たすという意味合いがありました。そのきっかけをどう活かすかはA氏の課題であって、それ以上私がどうこう言えることではありません。

 仮に私がA氏と直接縁の無い人間で、たまたま偶然にA氏の「デマ文書紹介発言」を目にしたとしましょう。そのとき何を感じるかというと、

ああ、この人は信憑性の乏しい情報を拡散させる人物なんだな

と思います。さらにしばらくウォッチしていてもし訂正がないようなら、

あれがデマであると教えてくれる友人知人はいないらしいな

と思います。さらに

自分で真相を調べることもしていないようだな

と思うことでしょう。

そして、

この分野についてA氏の言うことは当てにならない

と考えます。

A氏のフォロワーの中に何人ぐらい、こういうふうに考える人間がいたかはもちろんわかりません。まあせいぜい100人に1人ぐらいでしょう。元ネタが「原子力関係では有名なデマ文書」であるとはいっても一般の人がそんなことを知るわけはないので、100人に1人でも多いぐらいで、実際はもう1桁低いと思います。
大したことないっちゃ大したことない数ですが、その「100人に1人」の、A氏への信用は間違いなく落ちます。

それを防ぐために私は「あれはデマですよ」とこっそり教えました。そこで私としては

え、そうなんですか? デマだという根拠は何ですか?

と、根拠を確認する行動があることを予想していました。主張には根拠を確認する、これが有能な社会人としてのあるべき姿ですし、A氏はそういう基本習慣をもった人物だと思っていたわけです。ところが実際には

A氏:「原発を選択しない」という私の意見に変わりはないし、文書の真偽をいまさら調べようもない

という返事でした。その返事を見ながら私は愕然としていました。自分の専門分野については文句なく優秀有能な人物でも、このテーマになると理性に欠けるトンデモ屋さんになってしまうのか・・・と。

理性、に必要な能力の一部に「論理思考」がありますが、率直に言って私は「論理思考」と世間で呼ばれているものには、感情をくつがえす力はないと思います。

『「原発を選択しない」という私の意見に変わりはない』とA氏は言いました。実は、A氏がそういう感情を持つことは理解できる、というか予想できることではありました。A氏のライフスタイル、人生におけるポリシーをある程度知っていたので、そういう意見を持つのも無理はないこととわかっていたんです。

予想外だったのは、その感情を優先して、「文書の真偽をいまさら調べようもない」と、調べる努力自体を放棄する方向に走ったことです。そして、その直後に「原発についての知識をしっかり身につけなければいけない。そっちのほうが重要でしょ?」というセリフがつづく、これを矛盾と思っていない、というのが私にとっては衝撃でした。

でも、人間ってそういうものだと思うのですよ。ロジックには感情を覆す力は無い。だから、感情的に嫌いなもの、気に入らないものに対しては、「論理的にその対象を否定できる根拠」を探して極めてロジカルに「原発ゼロこそ日本の倫理」といった結論を出してしまえるのが人間というもので。

こういう罠は「論理思考」能力をいくら磨いても防げないようです。実際のところ、ロジカルシンキングを教えている人物が感情の罠にはまっているケースも山ほど見てきました。(まあ、ロジカルシンキング講座でやってることなんて本当のロジカルシンキングじゃない、という意見もあることでしょうが・・・)

そんなわけで、私としては「感情的になることはかまわないが、感情的に人を非難することだけはしない」という方針でいきたいと思います。以前、糸井重里流の考え方を紹介したこの記事↓

原子力論考(32)信頼のおける発言者を見分ける糸井メソッド
http://blogs.bizmakoto.jp/kaimai_mizuhiro/entry/3799.html

でも書きましたが、感情的に人を非難してしまうと、それが間違いだったとしても撤回するのが難しくなるからです。

そんなわけで、何かまとまりませんが、以上です。


Comment(3)

コメント

投孝子

こんにちは。
今回のお話と直接同じというわけではないのですが、「議論慣れ」というか「持論を批判された時の対応慣れ」というのが今の日本では育ちにくいのではないのかと感じます。空気を読む事が美徳とすることともに空気を読みはずした時に批判をきれいに受け入れる美徳というはなかなか育ちにくいです。
普段は冷静なのに小さな批判で怒(いか)ってしまうのはやはり子供っぽいというのは皆の共通認識なのですが、なかなかそういう人は多いです。
実体験で飲みの場で他人を論破した時にものすごく後で恨まれた事もあります。議論の経験が少ないのもそうですが、やはりある程度はアメリカのように子供に議論するためだけ(批判される経験をするためだけ)の授業を与えてあげないとこれからも批判され下手、議論下手の大人は減っていかないのかもと感じます。

開米瑞浩

>「議論慣れ」というか「持論を批判された時の対応慣れ」というのが今の日本では育ちにくいのではないのかと感じます

ああ、それは確かにそんな気がします。「批判」という言葉のイメージもよくない気がするし。減点主義対加点主義という話にも通じるような・・・

学校でディベート教育をやってる人の経験を聞きたいところですね。

あーあ

下の田代さん

まんまAさんな人ですね。これだけ書かれてまだ気づかないとは。

>世の中には明らかにフィクションだが社会問題を告発する小説などもあるわけで、そういう意味では文書の真偽はどうでもよく、告発される内容が重要だと考えるAさんの主張も理解できます。

理解できません。社会問題を扱うフィクションは舞台がフィクションなだけで訴えるキモは本当のことです。
一方あなたやAさんが信じ、周囲からはデマと指摘されている部分はその訴えるキモの部分ですよ?嘘じゃダメでしょうよ。

田代さんやAさんが言っていることは、「俺の信じていることは真理!根拠はないけどどうでもいいじゃん!」
それじゃ誰も信用しません

>「これはデマですよ」と教えるという行為がロジカルシンキングとは思えません。

その通り、それはロジカルシンキングの結果、またはロジカルシンキングを促す「行為」です

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