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「誰かが教えてくれることを信じるのではなく、自分で考えて行動する」ためには、矛盾だらけの「現実」をありのままに把握することから始めるリアリスト思考が欠かせません。「考える・書く力」の研修を手がける開米瑞浩が、現実の社会問題を相手にリアリスト思考を実践してゆくブログです。

憲法改正デマの話(7)フランス革命で「力」を得たのは誰なのか

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 社会人の文書化能力向上研修を手がけている開米瑞浩です。

 「国民」は、常に権力からの保護を必要とする「徹底的な弱者」なのでしょうか? もしそれがYESなら、「憲法は国民が国家権力を縛るもので、国民の義務を定めるものではない」という主張も正しいと言えますが、果たしてどうでしょう?


■フランス革命の成立によって「力」を得たのは誰なのか?

 第5回で世界各国憲法の「国民の義務」規定を例示しましたが、ドイツ、スイス、ロシア、韓国には「兵役」がありました。現在は廃止されましたがフランスでもアメリカでも日本でもかつては兵役がありました。

 「兵役の義務」は、「国家が権力を持って国民に対して強いたもの」であるという考え方が今では多いことでしょう。しかし、フランス革命の前後の情勢を調べてみるとそれとは違う姿が見えてきます。



 重要なのは色つきの3件、第一次対仏大同盟→30万人募兵失敗→国家総動員令 の流れです。
 それまでの経緯もいろいろありますが、ルイ16世を死刑にしたことでフランスの周辺諸国が反革命で一致してフランスに侵攻を始めた(もっとも、フランス側から宣戦布告してますが)のが93年1月の第一次対仏大同盟。これで危機に陥った革命政権は2月に兵力不足を補うため「30万人募兵」を試みるものの兵士は集まらず、存亡の窮地に立ちます。
 そこで8月になって「国家総動員令」を発令して徴兵制度を施行。これで100万の兵力を補充したフランスは反攻に転じ、対仏大同盟軍を国外に押し返し、逆に大同盟側に侵攻するほどの戦果を挙げました。



 この場合、「力」を持っていたのは、「存亡の危機に陥っていた革命政府」ではなく、兵力を提供した「平民」のほうなんですね。

 「王の身代金を払うときは議会をかけずに課税させてくれ」という条項がついていたマグナ・カルタと同じ構造です。



 「平常時」は、「国家権力」のほうが強いので、その国家権力の力をコントロールするために「人権」という概念で権力行使に制約をかけますが、そうやって国民の「人権」を守る体制を組んだ結果、非常時には逆に権力側のほうが弱い状態になります。

 革命政府:プロイセン軍がもうすぐそこまで来てるんだ、戦ってくれ!
 平民:やーだよ
 革命政府:命令に従わないつもりか!!
 平民: なんだと!! この「人権宣言」が目に入らぬか!! 
 革命政府:うわあぁぁぁぁ

 三文芝居ですいません。
 まあ、要はこういうことです。「人権宣言」によって、「国家権力による平民の動員」を封じられてしまうと、動員令に応じるかどうかは「平民の側の意向次第」になってしまいます。こういう状況では「平民が力を持つ」ことになります。そこで

 「力を持つ者を規制するために法律ができる」

 という原理から考えて、平民の側の「力」を制御する必要が出てきます。1793年8月の国家総動員令、徴兵制はそういう文脈で登場するわけです。徴兵制というのは「平民が国家権力の命令にやむなく従った」ものではなく、「力のある者が社会に貢献するよう、その力を制御する仕組みであった」というのが実情です。

 こうして平民が兵力を提供するようになると、政治的発言力も増します。つまり、「人権思想」「立憲政治」「民主主義」「徴兵制」はセットで存在したわけです。

 実のところ、フランス革命以前の欧州各国の「軍」は、いわゆる「騎士」を中心とする(時代遅れになりつつあった)封建領主の手勢に加えて「傭兵」を主力としたものでした。フランス革命時にもルイ16世を警護していたのはスイス傭兵だったぐらいです。それらの傭兵に頼った「フランス革命以前の欧州各国軍」の動員可能な兵力はさほど多いものではなく、せいぜい10~20万程度だったのに対して、フランス革命政府は徴兵によって100万の軍を編成できたと言われています。
 この兵力によって革命政府は対仏大同盟を押し返し、「フランス革命」もその命脈を保ちました。


■法律は「力」を制御するために作られる

 何度も書いたように「法律」は、「力」を制御するために作られます。
 「力」を持つのが「国家権力」だけだったときに、それに対抗するために人権思想が生まれ、三権分立・立憲議会政治が生まれたわけですが、いったんそういう体制が生まれると今度は「人権」によって保護された国民、平民の側が一定の「力」を持つようになります。
 そうなると当然その「力」を「社会的な目標達成」のために使うように「制御」する必要が生まれ、「国民の義務」が規定されるようになるのは、当たり前のことなんですね。

 「憲法」に、「勤労」「納税」「教育」あるいは「兵役」の義務を記載している国が少なくないのは、それが理由です。したがって、

 「憲法は国民が国家権力を縛るもので、国民の義務を定めるものではない」

 という主張は実際には成り立ちません。

 にもかかわらずそういう空論を主張する憲法学者が多いのですが、それには第二次大戦後の日本特有の事情があります。

 ただ、その話は次回にまわして、今回は最後に誤解されがちな徴兵制の話を少し補足します。
 既に「選挙期間中も「自民党が徴兵制導入を検討」というデマが飛んでいたようですね」で「いまどき徴兵制なんてありえない」ということは書いておきましたが、今回のように

「人権思想」と「民主主義」「徴兵制」はセットで存在した

 という話をすると、また「やっぱり徴兵制が必要だと言うことだろう!」と短絡的に考える向きが出てきそうです。が、既に書いたようにこれはありません。

 ない、という理由は道義的なものではなく、単純に「徴兵しても役に立たないから」です。現代の軍隊は18世紀と違って教育に金がかかります。徴兵で取った人員に多額の予算をかけて教育をしたあげく、2年で除隊されたらそれが無駄になってしまうわけで、職業軍人でなければ現代の軍隊は維持できないんですね。
 18世紀~19世紀は農業・産業革命や人口増加を背景とする、社会構造と軍事技術の変革期でした。その変革期において貴族を中心とする旧来の軍事力が役に立たなくなり、逆に平民が戦力として役に立つようになった結果、「人権」「民主主義」が尊重されるようになったわけです。

 ・・・・つづく

 
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