「接続詞を極力使わないのが良い文章」という誤解について
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こんにちは。文書化能力向上コンサルタントの開米瑞浩です。今日は本業の話です。
先週、ある会社で「読解力と図解力」という研修をやっておりました。
そこで私がこんな話をしたのですが・・・
「論文を書くときに、上司から、接続詞を極力使わないようにという指導をされました」
・・・・と。
講師をやっていて、こういう場面に遭遇するとなかなか困るものです。
開米:「接続詞は不可欠だから使え!」
上司:「接続詞は極力使うな!」
一見まったく逆のことを言っているように見えるので、うかつに対応すると「上司」氏の指導を否定するようなことになるため、慎重な扱いを要します。まあ、本当に否定が必要な時はしなければいけないし、それこそが社外のコンサルタントの役割、という場合もあるので、やるときはやりますが・・・
ただ、今回の場合は詳しく話を聞いてみると、実は開米と「上司」氏の言っていることは本質的に同じでした。
つまり、「上司」氏はこういうことを言っていたわけです。
実は自分でもまだ考えがまとまってない→でも論文を書き始めてしまった→なんだかうまくロジックがつながらない→でも接続詞を入れるとつながるような錯覚ができる→えーい、入れてしまえ!→という安易な発想。これをやると「なんとなく接続詞」のできあがりです。
こういう「なんとなく接続詞」はダメだ! 使うな! というそういう話を「上司」氏はしていたので、これなら開米も完全同意です。
よくあるんですよね、これ。という話をtwitterで書いていたら、こんなレスがありました。
確かに、口頭で発表するときは接続詞じゃなくて「あー、えー」という間投詞が増えます。それを文章で「あー、えー」とはできないので代わりに「したがって」とか「だが」「そして」のような接続詞に変わるのでしょう。
こういう接続詞は極力使わない、で正しいです。
しかしながら、「接続詞」には論理的関係を明示するという重要な役割があります。
たとえば以下の2つの文はそれぞれどのように理解されるでしょうか。
A) 田園都市線で事故があった。半蔵門線も遅れている。
B) 田園都市線で事故があった。そのために半蔵門線も遅れている。
AとBの違いは「そのために」という接続詞の有無だけです。
Bは「そのために」という順接の接続詞で因果関係を明示していますが、Aではそれがありません。こういう場合、A)のほうが「明示していない」分だけ、どうしても誤解が起きやすくなります。
Aを正しく理解するためには、
「田園都市線と半蔵門線は直通相互乗り入れ運転をしているため、
田園都市線の事故は半蔵門線にも直接影響する」
という知識が必要です。それを知らない人がAを読むと、全然関係ない2つの路線のことを書いているように解釈しても不思議はありません。というよりそのほうが普通でしょう。名前の違う路線なんですから。
つまり、「論理的関係を示す接続詞を使わないで書いた文章」は、その分「読者に高い思考力と豊富な知識がないと読めない」文章になるわけです。
ですから、「わかりやすい文章」を書こうとするなら、接続詞の適切な使用は必須です。
「この論理構造にはこれだ!」と確信を持って使う接続詞は文章の可読性を上げるために本当に不可欠なものなので、断固として使うべきなんですよ。
以上、「適切に使うことが大事」というあたりまえの結論になるのでした。
先週、ある会社で「読解力と図解力」という研修をやっておりました。
そこで私がこんな話をしたのですが・・・
「接続詞をできるだけ使わないようにするのが良い文章だ」という指導をしている文章の書き方読本が世の中にはたくさんありますが、ああいうのは鵜呑みにしないでください。接続詞は、論理的な関係を明示するためには必要不可欠です。すると、会場からこんな声がありました。
「論文を書くときに、上司から、接続詞を極力使わないようにという指導をされました」
・・・・と。
講師をやっていて、こういう場面に遭遇するとなかなか困るものです。
開米:「接続詞は不可欠だから使え!」
上司:「接続詞は極力使うな!」
一見まったく逆のことを言っているように見えるので、うかつに対応すると「上司」氏の指導を否定するようなことになるため、慎重な扱いを要します。まあ、本当に否定が必要な時はしなければいけないし、それこそが社外のコンサルタントの役割、という場合もあるので、やるときはやりますが・・・
ただ、今回の場合は詳しく話を聞いてみると、実は開米と「上司」氏の言っていることは本質的に同じでした。
つまり、「上司」氏はこういうことを言っていたわけです。
実は自分でもまだ考えがまとまってない→でも論文を書き始めてしまった→なんだかうまくロジックがつながらない→でも接続詞を入れるとつながるような錯覚ができる→えーい、入れてしまえ!→という安易な発想。これをやると「なんとなく接続詞」のできあがりです。
こういう「なんとなく接続詞」はダメだ! 使うな! というそういう話を「上司」氏はしていたので、これなら開米も完全同意です。
よくあるんですよね、これ。という話をtwitterで書いていたら、こんなレスがありました。
考えがまとまらない内にアブストだけ書いて発表申し込みして、結果をアブストにそってまとめようとして間投詞の多い発表なら、あちこちの学会に。「あーえー発表」と呼んでますw https://twitter.com/jpcryptex/status/221131801131880448
確かに、口頭で発表するときは接続詞じゃなくて「あー、えー」という間投詞が増えます。それを文章で「あー、えー」とはできないので代わりに「したがって」とか「だが」「そして」のような接続詞に変わるのでしょう。
こういう接続詞は極力使わない、で正しいです。
しかしながら、「接続詞」には論理的関係を明示するという重要な役割があります。
たとえば以下の2つの文はそれぞれどのように理解されるでしょうか。
A) 田園都市線で事故があった。半蔵門線も遅れている。
B) 田園都市線で事故があった。そのために半蔵門線も遅れている。
AとBの違いは「そのために」という接続詞の有無だけです。
Bは「そのために」という順接の接続詞で因果関係を明示していますが、Aではそれがありません。こういう場合、A)のほうが「明示していない」分だけ、どうしても誤解が起きやすくなります。
Aを正しく理解するためには、
「田園都市線と半蔵門線は直通相互乗り入れ運転をしているため、
田園都市線の事故は半蔵門線にも直接影響する」
という知識が必要です。それを知らない人がAを読むと、全然関係ない2つの路線のことを書いているように解釈しても不思議はありません。というよりそのほうが普通でしょう。名前の違う路線なんですから。
つまり、「論理的関係を示す接続詞を使わないで書いた文章」は、その分「読者に高い思考力と豊富な知識がないと読めない」文章になるわけです。
ですから、「わかりやすい文章」を書こうとするなら、接続詞の適切な使用は必須です。
「この論理構造にはこれだ!」と確信を持って使う接続詞は文章の可読性を上げるために本当に不可欠なものなので、断固として使うべきなんですよ。
以上、「適切に使うことが大事」というあたりまえの結論になるのでした。
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