原子力論考(68)「地球環境とエネルギー」誌に寄稿しました
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「月刊Business i. ENECO 地球環境とエネルギー」誌の 7月号 (2012年06月28日発売)
の風力発電特集に、
「原発代替は到底無理 ~エネルギー政策歪める「異常な市民感覚」~」
という記事(4ページ)を寄稿しました。
もともとこのブログの「原子力論考(42)風力発電は原発代替にはなりませんので」
で書いた内容をベースに「~エネルギー政策歪める「異常な市民感覚」~」について加筆したものです。
私はエネルギー問題については単なる素人なのですが、素人なりにこの1年勉強してみると、見えてくるものがありました。それは、「異常な市民感覚」がエネルギー政策を歪めることの怖さです。そしてこの件については「エネルギー業界人ではない、普通の市民だからわかること」もありますので、同誌から寄稿依頼を受けてその観点で執筆した次第です。
以前に(47)(48)(49)(50)(51)の各論考でも書きましたが、その「異常な市民感覚」で歪められたエネルギー政策の最たるものが、つい最近決まった「再生可能エネルギー全量買取制度」です。前にも書いたとおりこの制度は「金持ちを儲けさせるために貧乏人からカネをむしり取る制度」であるだけでなく、このために再生可能エネルギーを増やすと送配電網に負担を与え、電力品質の低下を招き、産業インフラとしての信頼性を落とす恐れがあります。率直に言って信じられない愚策です。
平常時ならこんな政策が通るはずはありませんでしたが、原発事故以来の異常な報道が「原発の危険性」を過大に宣伝し、逆に「自然エネルギーの可能性」をこれまた過大に宣伝した結果、世界中から「日本はなんというアホなことをやっているのか」と嘲笑されるような政策が通ってしまいました。
通ってしまったものはしかたがありません。できるだけ早く廃止に持ち込むための努力をしましょう。
それはそれとして、大局的に考えたいのは、「エネルギー政策に関して正しい理解を得る努力」の必要性です。
エネルギーというのは経済や技術だけでなく、国際政治・軍事安全保障もからむ高度に専門的な知識を必要とする複雑な問題で、本来は「普通の市民」がそこに口を出すべきではありません。しかし、時と場合によっては「素人の理解を得る」ことが必要なケースがあります。そして今がその時です。
今回、ビジネスアイエネコ「地球環境とエネルギー」誌に書いた記事ではそのへんの話をまとめてあります。
(原稿より一部引用)
そんなわけで私は私なりに「エネルギー問題を正しく理解する努力」を続けます。その成果はできるだけわかりやすくここに書いていきますので、ご意見ご感想よろしくお願いします。
■開米の原子力論考一覧ページを用意しました。
→原子力論考 一覧ページ
の風力発電特集に、
「原発代替は到底無理 ~エネルギー政策歪める「異常な市民感覚」~」
という記事(4ページ)を寄稿しました。
もともとこのブログの「原子力論考(42)風力発電は原発代替にはなりませんので」
で書いた内容をベースに「~エネルギー政策歪める「異常な市民感覚」~」について加筆したものです。
私はエネルギー問題については単なる素人なのですが、素人なりにこの1年勉強してみると、見えてくるものがありました。それは、「異常な市民感覚」がエネルギー政策を歪めることの怖さです。そしてこの件については「エネルギー業界人ではない、普通の市民だからわかること」もありますので、同誌から寄稿依頼を受けてその観点で執筆した次第です。
以前に(47)(48)(49)(50)(51)の各論考でも書きましたが、その「異常な市民感覚」で歪められたエネルギー政策の最たるものが、つい最近決まった「再生可能エネルギー全量買取制度」です。前にも書いたとおりこの制度は「金持ちを儲けさせるために貧乏人からカネをむしり取る制度」であるだけでなく、このために再生可能エネルギーを増やすと送配電網に負担を与え、電力品質の低下を招き、産業インフラとしての信頼性を落とす恐れがあります。率直に言って信じられない愚策です。
平常時ならこんな政策が通るはずはありませんでしたが、原発事故以来の異常な報道が「原発の危険性」を過大に宣伝し、逆に「自然エネルギーの可能性」をこれまた過大に宣伝した結果、世界中から「日本はなんというアホなことをやっているのか」と嘲笑されるような政策が通ってしまいました。
通ってしまったものはしかたがありません。できるだけ早く廃止に持ち込むための努力をしましょう。
それはそれとして、大局的に考えたいのは、「エネルギー政策に関して正しい理解を得る努力」の必要性です。
エネルギーというのは経済や技術だけでなく、国際政治・軍事安全保障もからむ高度に専門的な知識を必要とする複雑な問題で、本来は「普通の市民」がそこに口を出すべきではありません。しかし、時と場合によっては「素人の理解を得る」ことが必要なケースがあります。そして今がその時です。
今回、ビジネスアイエネコ「地球環境とエネルギー」誌に書いた記事ではそのへんの話をまとめてあります。
(原稿より一部引用)
とはいえ、筆者の私見を率直に言えば、エネルギー問題に関して「普通の市民」の理解を得なければならないというのは異常な事態だ。エネルギーは経済・技術だけでなく国際政治・軍事安全保障もからむ高度に専門的な知識を必要とする複雑な問題で、本来は「普通の市民」がそこに口を出すべきではない。しかし、時と場合によっては「素人の理解を得る」ことが必要なケースがある。そして今がその時なのである。
実のところ、筆者は再生エネルギー特別措置法による買取価格を検討する調達価格等算定委員会が、たとえば太陽光1kWhあたり42円という途方もない案を「正式決定」するとは夢にも思っていなかった。いくらなんでもそんな馬鹿な決定をするはずがないだろう、と思っていたその案が委員会を通ってしまうというのはまったくの予想外だったのだ。
もちろん、「普通の市民」がこの決定をしたわけではない。しかし少なくとも1つ言えるのは、「これが異常な案であることに気がついて抗議の声を上げる普通の市民は少ない」ということだ。逆に自然エネルギーを推進するために必要な政策だ、と好意的に捉えている例もよく見かける。馬鹿な案が通ってしまった背景には、そういう「異常な市民感覚」の存在が間違いなくある。
エネルギー問題は本来「普通の市民」が口を出すべき領域ではないが、現にそれが政策決定をゆがめている現実がある以上、放置するわけにはいかない。真っ正面から「素人の理解」を得ることに取り組むべきだろう。
■健全な理解なしに健全な発展はない
そしてそれは誠実に自然エネルギーを推進しようとする側こそが真剣に取り組むべき課題だ。それをしない限り、現在の情勢下では「自然エネルギー」を看板にかかげた怪しい業者がはびこり、かえって業界の健全な発展を阻害する結果を招くのである。
そんなわけで私は私なりに「エネルギー問題を正しく理解する努力」を続けます。その成果はできるだけわかりやすくここに書いていきますので、ご意見ご感想よろしくお願いします。
■開米の原子力論考一覧ページを用意しました。
→原子力論考 一覧ページ
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