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「誰かが教えてくれることを信じるのではなく、自分で考えて行動する」ためには、矛盾だらけの「現実」をありのままに把握することから始めるリアリスト思考が欠かせません。「考える・書く力」の研修を手がける開米瑞浩が、現実の社会問題を相手にリアリスト思考を実践してゆくブログです。

原子力論考(43)善意の活動家が陥る承認欲求の罠

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原子力論考(41)で、反体制運動のビジネスモデルについて書きましたが、実際のところ完全にビジネスとしてやっている活動家はほんの一握りで、大多数はまさしく「善意から来るボランティア活動」としてやっているものです。だからこそ、当人自身には悪意がないゆえにそのいびつさを自覚しにくく、問題をこじれさせやすいのが困ったところです。

 ↓原子力論考(41)のビジネスモデルの図を再掲



ちなみに「完全にビジネスとしてやっている活動家」というのはたとえばこういう行動に出ます。

英:ガーディアン紙による「バズビー氏とバズビーサプリ」に関する報道に関するまとめ
↑バズビーというのは「放射能の影響から日本人を守る」として高価なサプリメントを売ろうとした人物。

80年代から反原発ジャーナリストとして有名だった広瀬隆は2011年3月の講演会で「放射能対策」として、自分の娘が作っている味噌を宣伝していた。この件は、脱原発派の池田香代子からも批判されている

[savechild.net] @save_child の疑惑:放射能ビジネス?「広告収益が別人へ」「エア疎開」等の疑惑が浮上

放射能ビジネスに気をつけて
↑「放射能から身を守る」等の講演会に参加したり、脱原発署名運動に署名したりする人の名簿は悪徳業者にとって宝の山であるという話

こういうグループは完全にビジネスでやっている活動家ですが、中には完全に善意でやっている人もいます。しかし問題は、善意だからといって判断・行動が適切だとは限らないことです。

あのひとは本当にいい人で・・思いやりがあって人助けに熱心で」と、そんなふうに賞賛したくなる人物が仮にいたとします。お金儲けどころか、私財を持ち出してまで人助けをしているような場面を目にすると、

    「こんな立派な人が間違ったことを言うはずがない」

と思いたくなるのも無理はありませんが、

    動機が倫理的に正しくても、判断が現実的に適切とは限らない

のです。

マズローの欲求段階説は有名なのでご存じの方も多いことでしょう。人間の欲求を低次から高次まで5段階に分けた理論ですが、この中に「承認の欲求」というものがあります。



承認欲求というのは端的に言うなら「自分を認めて欲しい、尊敬されたい、感謝されたい」という社会的な欲求です。この承認欲求を「社会運動」の場で満たそうとすると、↓↓こういう事態が起きます。



完全にビジネス抜きの「善意」で活動している人の場合は「自己防衛グッズ」を売るわけではないので、一見、損得抜きの無償の行為のように見えますが、実際には彼らはそこで「一般市民」からの「感謝」「賞賛」を得ています。これが「承認欲求」を満たす非金銭的な報酬になります。また、その話題で「対話」出来ること自体が、その集団に自分の居場所がある、という意味で「所属と愛の欲求」を満たす手段になります。

以下、参考に↓

 昔小林よしのりが薬害エイズ運動に集まっている若者たちを批判して、運動そのものじゃなくて自己実現とか居場所づくりのために来ていやがる、というむねのことを言ったことがある。
 それを読んだとき、思い当たるフシがあるなあ、左翼運動というものは、そうならないようにしないといけないよなあ、と思った記憶があるのだが、今にして思えば、実は自分の価値を認めてもらうことや居場所として左翼組織や運動を考えるというの非常に大事な機能なのだ。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/ikidurasa.html

吉田典史の時事日想:20代の若者が、"心のキレイ"な人を食い物にしている

しかしながらこういう「社会運動」系の活動によって満たされる「所属欲求」「承認欲求」には、ある種の麻薬的な副作用があります。アルコールも飲み過ぎればアル中になるように、ほどほどのところで押さえておかなければなりません。

どんな副作用かというと、たいていその種の活動は「攻撃対象を設定した人格攻撃に陥る」ということです。要は「悪代官と御用商人」モデルの敵役がいないとこれは成り立たないので、どうしてもそうなります。そして攻撃材料を探して非科学的な情報に飛びつくようになり、本人自身に多少の科学的素養があったとしても、その判断力も曇らせてしまってトンデモ言説を流すようになります。

だいたいにおいてこの種の活動にハマるのは、「承認欲求が満たされていない」人です。自分が普段、「正当に評価されていない」と感じているからこそ、「おおっぴらに他人を叩ける機会」に飛びつき、それを人にも広めることで「自分の言葉で他人の行動をコントロールする快感」に酔いつつ、それを「感謝・賞賛」もされる、という実に居心地のいいポジションを手に入れようとするわけです。

人間といえども生物であり、生物というのは欠乏を解消しようとして動くものですから、短期的にこういう行動を取ってしまうのはしかたがありません。誰だってやっちゃうものです。私も身に覚えがあります。

ですが、ずっとそのままでいると、酒飲みがアル中になるように多大な悪影響を引き起こします。くれぐれもご注意ください。そして、身近にそんな人がいたら、深みにはまらないように、慎重に引き戻す手を打ってください。

その際重要なのは、「承認欲求を尊重する」ということです。
この問題の根本は「承認欲求の未充足」ですから、たとえ間違っていると思っても頭から否定するとかえってかたくなになり、問題をこじらせます。


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