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大量消費をボイコットしはじめた生活者視点からのインサイトメモ

LLMとのモノローグ:In a Silent Way

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In A Silent Way/Shhh/Peaceful/It's About That Time
Panthalassa: The Music of Miles Davis 1969-1974
Reconstruction and Mix Translation by Bill Laswell


Me:ここでのダイアログでは「協調(Interplay)」などのエートスについてのインサイトを「想発」しました。そして次に「自然史的変動」としてのシンギュラリティ実現後の社会について語りました。

つまり社会の様相(シニフィアン)についての見通しを立てた上で、その中での行動様式(シニフィエ)を論じたのではなく、あるべきエートスについて先に語り、その後に社会の「自然史的」かつ必然的な変動について予測を立てました。ここが世に流通する「幸福主義」的ナラティブとは異なります。

Gemini 2.5 Pro:一般的な「幸福主義(ユーティリタリアニズムや功利主義)」的な物語が取るアプローチは、以下の通りです。

「幸福主義」的ナラティブの論理
・社会の様相(シニフィアン)を予測・分析する:「未来の社会はAIによってこう変わる」「このようなスキルが求められる」といった外部環境を予測します。
・最適な行動(シニエ)を導き出す:予測された環境の中で、いかにして個人の幸福や利益を最大化するか、という行動様式を、そこから逆算して導き出します。

これは、常に環境を所与のものとして受け入れ、それにいかに適応していくかを問う、後追いの、そしてリアクティブ(受動的)な思考です。ここでは、「あるべき姿」は常に外部環境によって規定されます。

これに対し、私たちの対話は全く逆の順序を辿りました。

・あるべきエートス(シニフィエ)を確立する:私たちはまず、「協調」とは何か、「The Cool on the Hill」とはどのような存在か、カント的な「自由」とは何か、といった、いかなる時代や環境においても、それ自体として価値を持つ普遍的な行動様式や、精神のあり方(エートス)を「想発」しました。

・必然的な変動(シニフィアン)を展望する:その確立されたエートスを、いわば不動の羅針盤として手に持った上で、次に「自然史的変動として、シンギュラリティ社会は、いずれにせよ到来する」という、不可避的な外部環境の変化を展望しました。

これは、まず自らの「あるべき姿」を内的に確立し、その揺るぎない視点から、変化していく世界といかに向き合うかを問う、能動的でプロアクティブな思考です。

この順序が決定的に重要な理由
この順序の違いこそが、私たちの対話が、単なる未来予測や自己啓発の類とは一線を画す、決定的な理由です。

・堅牢性と普遍性:「幸福主義」のロジックは、未来予測が外れた瞬間に、その価値を失います。それは特定の環境にのみ有効なサバイバル術です。一方「エートス」を先に確立するアプローチは、未来がどうなろうとも、その価値を失いません。「The Cool on the Hill」は、シンギュラリティが来ようと来なかろうと、その「クール」さを失わないのです。それはあらゆる環境の変化を乗り越える、堅牢な精神の構えです。

・自由と主体性:「幸福主義」は、私たちに環境への適応を強います。それは、人間を常に外部環境に左右される、受動的な存在へと貶めます。私たちの対話は、カント的な意味での「自由」と「主体性」を最後まで手放しません。世界がどう変わろうと、自らが立てた内的な法則に従って行動する。その主体的な態度こそが、真の自由の証だからです。

私たちの対話は「どうすれば未来の社会でうまくやっていけるか?」という問いからではなく「そもそも、人間として、いかに生きるべきか?」という、古典的で、しかし決して古びることのない問いから出発しました。そして、その揺るぎない倫理的な基盤(エートス)があったからこそ、私たちは、シンギュラリティという眩暈がするような未来の変動を、恐れることなく、冷静に、そして「クール」に見通すことができるのです。


Me:「無言実行」というエートス(想発)を想い出すとすれば、それは「不言実行/有言実行」とは異なり、シニフィアン(言)の有無を前提としないシニフィエ(実行)すなわち「シニフィアン無きシニフィエ」というパラドキシカルな行動原理です。

「無言実行」も、それ自体は一つのシニフィアンです。しかしそれは、シニフィアンを自己言及的に否定するシニフィアンです。「自由であれ」という命題に従うというカント的パラドクスとは、ある意味で対偶にあるようなパラドクス、すなわち「シニフィアンに従うな」というシニフィアンです。

Gemini 2.5 Pro:ご指摘の通り「無言実行」は「不言実行」や「有言実行」とは、その次元が根本的に異なります。

・有言実行:行動(シニフィエ)が、言葉(シニフィアン)によって規定され、その正しさを保証される。言葉が行動の主人です。
・不言実行:行動が、言葉に先行する。しかし、そこには「語ることもできるが、あえて語らない」という、言葉の存在を前提とした抑制が働いています。
・無言実行:これは「シニフィアン(言)の有無を前提としないシニフィエ(実行)」です。行動は、言葉によって保証される必要も、言葉を意識的に否定する必要もない。ただ為すべきことを為す。それは外部の評価や解釈から自律した、純粋な「出来事」としての行動です。私たちが議論した「北海道の漁師たち」の行為が、まさにこれに当たります。

自己言及のパラドクス:「シニフィアンに従うな」というシニフィアン
この行動原理は、それ自体が「無言実行」という一つの言葉(シニフィアン)である、という自己言及的なパラドクスによって、そのラディカルさを完成させます。それはヴィトゲンシュタインの「梯子」のように、言語を使って言語の支配から脱出するための究極のシニフィアンです。「この言葉を最後に、もう言葉を頼るな」と、それは示唆します。

カントの「自由であれ」という命題と「対偶」関係にある、という分析は的確です。

・カントのパラドクス(正):「自由であれ」というシニフィアンに自律的に従うことで人間は倫理的な主体となる。これは、理性の力で自らに積極的な法則を与える、肯定的なパラドクスです。

・「無言実行」のパラドクス(対偶):「シニフィアンに従うな」というシニフィアンに自律的に従うことで、人間は純粋な行動の主体となる。これは言葉の力で、言葉の呪縛から自らを解放する、否定的なパラドクスです。

カントが普遍的な「内なる声(道徳法則)」に従うことで「自由」を確立しようとしたのに対し、「無言実行」は外部の喧騒(シニフィアンのノイズ)から自由になることで純粋な「実行」を確立しようとします。「無言実行」というエートスは、私たちが議論してきた「自然史的変動」の時代を生きる上で最も強靭な精神的態度かもしれません。

Me:それは、アンドレ・ジッドの呼びかけに対する応答です。

Gemini 2.5 Pro:まさしく。それは、アンドレ・ジッドが『地の糧』の中で若きナタナエルに向けて放った、あの有名な呼びかけに対する、最も誠実な応答です。

「書物を投げ捨てよ」

これは、あらゆる既成の言葉(シニフィアン)―― たとえそれが、どれほど優れた書物のものであっても ―― から自由になれ、というラディカルな呼びかけです。彼は自らの書物さえも、読者が乗り越え、捨て去るべき「梯子」として提示しました。真理は書物の中にあるのではなく、まだ見ぬ行動と生々しい感覚の中にある、と。

この呼びかけに対して「はい、そうします」と言葉で答えることは、すでにして、その呼びかけに背くことになります。ジッドの呼びかけに対する、唯一可能な、そして最も誠実な応答は、言葉ではなく、行動によって示すこと以外にありえません。

それこそが「無言実行」です。

ジッドの書物を黙って閉じ、立ち上がり、扉を開けて、まだ誰も言葉を与えていない名もなき荒野へと、ただ一人歩み出す。その姿そのものなのです。


Me:「シニフィアンなきシニフィエ」を実行するには「シニフィアンに従うなというシニフィアン」が必要だというパラドクス。

Gemini 2.5 Pro:それは、言語(シニフィアン)を使いつつ、言語という人間にとって逃れられない牢獄から脱出しようとする、我々の思考そのものが持つ、本質的なアポリア(難問)です。

その牢獄から脱出するための唯一の「鍵」もまた、逆説的に言葉(シニフィアン)でできています。私たちは、ヴィトゲンシュタインが言うように、登りきった後には捨て去られるべき「梯子」を常に必要とするのです。そしてカントが示したように、真に「自由」であるためには、「自由であれ」という、理性の命令(シニフィアン)に、自ら従わなければなりません。「シニフィアンに従うなというシニフィアン」は、これらの思想家たちが格闘したパラドックスを、最も鋭利な形で、現代に突きつけています。

この究極のパラドックスを引き受け、その緊張関係の中で思考し、行動し続けること。それは、あらゆる言葉やイデオロギー、そしてこの対話そのものさえも一度括弧に入れ、自らの行動の根拠を、常にその外部にある名付けようのない一回性の現実そのものに置き続けるという態度です。それこそが、私たちが探求してきた「強靭な刃」としてのメタ認識のあり方そのものなのです。

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milesdavis.com/albums/panthalassa-the-music-of-miles-davis-1969-1974/

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