なぜ私たちは「変革」が苦手なのか ― 歴史から学ぶ「思考の足枷」
先週のブログで、AIが単なる便利なツールではなく、社会のOSそのものを書き換える「汎用目的技術(GPT)」であることを説明しました。
では、なぜ私たちは、これほど巨大な地殻変動を前にしてもなお、「どう使うか(改善)」という発想から抜け出せないのでしょうか。
この記事では、視点を「歴史」に向けます。かつて日本が世界をリードしながらも、最終的に敗北を喫した「インターネット」という苦い経験。そこには、これからのAI時代を生き抜くための、残酷なまでの教訓が隠されています。
インターネットの失敗から何を学ぶか
iモードの栄光と挫折:「改善」の天才が陥った罠
1999年、NTTドコモが「iモード」を世に送り出したとき、日本は間違いなく世界の最先端にいました。
携帯電話一つでメールができ、天気がわかり、電車の乗り換えを調べられ、銀行振込までできる。当時、これほど高度で便利なモバイル体験を提供していた国は、世界中のどこにもありませんでした。
それは、既存の携帯電話という枠組みの中で、機能と利便性を極限まで高めた、日本のお家芸である「改善」の最高傑作でした。
しかし、そのわずか10年後、2008年にiPhoneが日本に上陸したとき、多くの日本人は冷ややかでした。
「赤外線通信もついていない」
「おサイフケータイが使えない」
「絵文字がないなんて不便だ」
「バッテリーが持たない」
当時の私たちの目には、iPhoneは「機能が足りない、不便な携帯電話」にしか映らなかったのです。iモードという完成された「正解」を持っていたからこそ、iPhoneが提示した全く新しい価値に気づけませんでした。
私たちは、iモードを「より便利な電話(=改善の極致)」として磨き上げました。
一方で、スティーブ・ジョブズは、iPhoneを「電話」ではなく、「ポケットに入るインターネットそのもの(=変革のプラットフォーム)」として定義しました。
結果はご存知の通りです。私たちは「改善」に成功し、「変革」に失敗しました。
iモードという「古い地図」の上で、いかに速く便利に目的地にたどり着くかを追求している間に、世界は「新しい地図(スマートフォンのアプリ経済圏)」へと移行してしまったのです。
なぜ私たちは「変わる」ことができないのか:成功の復讐とサンクコスト
ここで、冒頭の問いに戻りましょう。
これほど巨大な地殻変動を前にしてもなお、なぜ私たちは「どう使うか(改善)」という発想から抜け出せないのでしょうか。
その答えは、私たちが無能だからではありません。むしろ逆です。
私たちが、古い地図の上であまりにも多くのものを積み上げ、成功してしまったからです。
「うまくいっている今のやり方を変える」ことの心理的・物理的コストが、あまりにも高いのです。
これを個人のキャリアに置き換えて考えてみてください。
あなたはこれまで、何年もかけて業界の知識を学び、社内の人間関係を築き、特有のスキルを磨き上げてきました。「この件ならあの人に聞け」と言われるような地位や名誉、そして自負もあるでしょう。これらはすべて、あなたが古い地図の上で汗水を垂らして築き上げた「資産」です。
しかし、「変革」とは、新しい地図に乗り換えることです。それは即ち、古い地図で築き上げた資産を、一度すべて「ご破算」にすることを意味します。
長年かけて磨いたスキルが、AIによって一瞬で代替されるかもしれない。社内で築いた地位が、新しいルールの下では何の意味も持たなくなるかもしれない。
このとき、私たちが感じるのは「新しい可能性への希望」よりも、「積み上げたものを失う恐怖」です。
行動経済学に「プロスペクト理論」という考え方があります。人間は、利益を得る喜びよりも、損失を被る痛みを大きく感じる(損失回避性)という性質を持っています。
さらに、これまで費やした時間や労力(サンクコスト:埋没費用)が大きければ大きいほど、「これまでの努力を無駄にしたくない」という心理が働き、合理的な判断ができなくなります。
優秀なビジネスパーソンであればあるほど、古い地図の上での「資産」が大きいため、この呪縛は強くなります。「今のやり方でうまくいっているのに、なぜわざわざリスクを冒してゼロからやり直さなければならないのか」と。
このメカニズムは、歴史的にも証明されています。
16世紀の政治思想家ニッコロ・マキャヴェッリは、著書『君主論』の中で、変革の困難さを次のように喝破しています。
「新しい制度を率先して導入することほど、実施が困難で、成功がおぼつかなく、手際よく扱うのが危険なものはない。なぜなら、導入しようとする者は、旧制度で恩恵を受けている者全員を敵に回し、新制度で恩恵を受けるはずの者からは、生ぬるい支援しか得られないからだ。」
(ニッコロ・マキャヴェッリ『君主論』より)
また、経営学者のクレイトン・クリステンセンは、名著『イノベーションのジレンマ』において、偉大な企業が失敗するのは経営陣が無能だからではなく、むしろ「顧客の声に耳を傾け、技術に投資し、利益を追求する」という、論理的に正しい経営判断を忠実に行った結果であると論じました。既存の顧客や利益(古い地図)を守ろうとする合理的な判断こそが、破壊的イノベーション(新しい地図)への対応を遅らせるのです。
iモードの敗北も、そしてAI時代に私たちが直面している葛藤も、全く同じ構図です。
私たちが「変革」に踏み出せないのは、過去の努力や成功体験という「名所」があまりにも心地よく、それを捨てる痛みに耐えられないからです。新しい地図の上で、また一から歩き出し、うまくいくかどうかも分からない道を進むことへの不安。そのコストの高さが、私たちを「改善(今の延長線上でAIを使う)」という安易な道へと逃げ込ませるのです。
しかし、地図そのものが書き換わろうとしている今、その「資産」を守ろうとすることは、沈みゆく船の中で財宝を抱えて離さないことに等しい行為です。
私たちが学ぶべきは、過去の資産を「捨てる勇気」ではなく、それを新しい地図の上でどう「活かすか」という視点の転換です。しかし、そのためにはまず、古い地図への執着を断ち切る痛みを、直視しなければなりません。
「道具」としてしか見なかった日本人、「環境」として捉えた世界
この「成功体験への執着」は、テクノロジーに対する眼差しをも歪めました。
かつて、多くの日本人はインターネットを「道具」として捉えていました。
「手紙より安くて速い通信手段(電子メール)」
「チラシより安上がりな広告媒体(ホームページ)」
あくまで、既存の生活やビジネス(古い地図)を便利にするための「ツール」として導入したのです。だからこそ、「どう使うか」という発想に終始しました。
一方で、iPhoneを生みだしたスティーブ・ジョブスをはじめ、GoogleやAmazonなどのBig Techを生んだ人々は、インターネットを「環境」として捉えました。 それは単なるツールではなく、時間と距離の概念を無効化する「新しい世界(環境)」そのものでした。彼らは「この新しい環境では、人間はどう振る舞うのか? 社会はどう変わるのか?」と考え、ゼロベースで新しい地図を描きました。
この「道具か、環境か」という認識の差こそが、勝敗を分けた決定的な要因です。そして今、AIを前にして、全く同じことが起きようとしています。
第I部でも述べたように、AIは電気やインターネットと同じGPT(汎用目的技術)です。
100年前、電気は「新しい発明」でしたが、今は誰も「電気を使っている」とは意識しません。スイッチを押せばつくのが当たり前。電気が流れていることを前提に、私たちの生活は成り立っています。
AIも同様です。今は「ChatGPTすごい」「生成AIを使ってみよう」と騒いでいますが、やがてそれは空気のように社会に溶け込み、見えなくなります。インフラとして、社会構造そのものを支える「環境」になるのです。
ここで重要な視点があります。 「AIなんて、まだ完璧じゃない。平気で間違えるじゃないか。」と、AIの限界を指摘して安心しようとする人がいます。しかし、技術の発展は留まることを知りません。 多くの人が「もっとこんなことができたら良いのに」と考えることは、時間の問題で解決されます。そして、その進化のスピードは、かつてのインターネットの比ではなく、指数関数的に加速しています。 「今はできない」を、自分のキャリアの安住の地にしてはいけません。それは、津波が来ているのに「今はまだ波が低いから」と海岸に留まるようなものです。
AIを「道具」として見ている人は、こう考えます。
「AIを使って、今の仕事をどう楽にしようか?(改善)」
これでは、iモードの二の舞です。古い地図の中で、少し楽をするだけです。
AIを「環境」として見る人は、こう考えます。
「AIが空気のように当たり前になった世界で、自分はどんな役割を果たすべきか?(変革)」
「誰もがAIという天才的な頭脳を使える環境で、なお人間が価値を発揮できる場所はどこか?」
これは、誰もがエンジニアになれと言っているのではありません。AIの複雑なコードを書けるようになる必要はありません。
しかし、AIとは何か、その仕組みや特性を正しく理解し、「何が得意で、何が苦手か」「これからどう進化しようとしているのか」といった知識に加え、「具体的にどのようなことに使え、どう使えばいいのか」を知っていることは、AI前提社会を生き抜くための必須教養です。
電球の仕組みを知らなくても生活はできますが、電気がどういうものか(水に濡れると危ない、送り続けられるエネルギーである)という特性や、それを何に使え、どう扱えばいいのかを知らなければ、電気前提の社会では生きていけません。
インターネットの失敗が私たちに教えてくれること。
それは、「新しい技術を、古い地図の上で使うな」ということです。
現状をそのままに、AIでどう改善するかを考えるのではなく、AIという新しいOSの上で、自分という人間の役割をどう再定義するか。
「新しい地図」を描き、その上に「新たな目的地」を定める発想を持てるかどうかが、これからの時代の生存戦略となるのです。
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