危機感ではなく高揚感で人を動かす
「うちの社員には危機感が足りません。ぜひ、危機感を持たせて頂きたい。」
このような講演の依頼をいただくことがあります。社員が危機感を持てば、「このままではまずい」と自律的に行動を起こしてくれるはず、という期待があるのでしょう。
しかし、その「危機」とは具体的に何でしょうか。尋ねてみると、「DXや生成AIなど、世の中の変化が速いから」といった、漠然とした焦りや不安を指していることがほとんどです。
いまの事業がそれなりにうまくいっている現場に、本心からの危機感はありません。「理屈では分かるが実感がない」というのが本音でしょう。
漠然とした危機感を煽っても、「やっぱりそうなんだ」と不安を上塗りするだけで、人の行動を本質的に変える動機付けにはなりにくいのです。むしろ、不安がモチベーションを下げたり、会社への不信を募らせたりするリスクさえあります。
もちろん、直面する具体的な課題(例:明確な市場シェアの低下、顧客からの具体的なクレーム)を共有することは必要です。しかし、それを行動のエネルギーに変えるには、「このままではまずい」という恐怖(Fear)よりも、「こうすれば乗り越えられる」「新しい未来を作れる」という希望(Hope)が不可欠です。
予測できない将来に対処するために本当に必要なのは、恐怖に基づく「危機感」ではなく、内から湧き出る「高揚感」です。
「高揚感」がパフォーマンスを最大化する
「高揚感」とは、仕事に対する「わくわく感」や、自分の行動が価値あるものにつながっているという実感、そして「志」とも呼べるものです。
一橋ビジネススクール客員教授の名和高司氏は、著書「パーパス経営」の中で、Purposeを「志」と読み替えることを提唱しています。企業の内部から湧き出てくる強い思い、すなわち「志」こそが原動力になるべきだという考え方です。
この「高揚感」や「志」がもたらす力は、学術的にも裏付けられています。
心理学者のエドワード・デシとリチャード・ライアンが提唱した「自己決定理論(Self-Determination Theory)」では、人間は「自律性(自分で選びたい)」「有能感(うまくやりたい)」「関係性(つながりたい)」が満たされると、内発的動機づけが高まるとされます。これは、報酬や罰(危機感)といった外的要因ではなく、活動そのものへの喜びや関心(高揚感)によって動機づけられる状態です。
また、ミハイ・チクセントミハイが提唱した「フロー体験」は、目の前の活動に完全に没入し、時間感覚を忘れるほどの集中状態を指します。この「フロー」こそ、高揚感が最高潮に達した状態であり、個人のスキルが最大限に発揮され、高いパフォーマンスや創造性が生まれる瞬間です。
さらに、経営学の分野でも、従業員の「ワーク・エンゲージメント」(仕事への熱意、没頭、活力)が組織の生産性やイノベーション率と強く相関することが、多くの研究(例:ユトレヒト・ワーク・エンゲージメント尺度を用いた研究)で示されています。
危機感が「やらなければならない(Have to)」という義務感を生むのに対し、高揚感は「やりたい(Want to)」という情熱を生み出します。イノベーションや創造性は、後者の状態からしか生まれません。
「ワーク・イン・ライフ」と高揚感
かつては「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が盛んに使われました。これは、仕事(辛いもの)と生活(楽しいもの)を対立関係に置き、その帳尻を合わせるという考え方でした。
しかし、VUCAと呼ばれる予測困難な時代において、競争力の源泉は、言われたことを効率的にこなす「労働集約型」から、個人の才能や創造性を活かす「知識集約型」へと移行しました。
いま求められるのは、生活あるいは人生(ライフ)の一部として、仕事が充実した時間として位置付けられる「ワーク・イン・ライフ」という価値観です。多様な個人が活き活きと働き、最高のパフォーマンスを発揮できる「高揚感」に満ちた場を提供することが、経営の重要な役割となりました。
「高揚感」を高めるためのAIの活用
この「高揚感」を高める上で、AIは強力な触媒となり得ます。AIを「監視」や「効率化」のツールとしてだけ使うのではなく、「人間の能力を拡張し、わくわく感を支援する」パートナーとして捉え直すことが重要です。
1. 創造的な時間を生み出す
AIが日常的なルーチンワークや単純作業を自動化することで、人間は「考え、試し、対話する」といった、より創造的で高揚感を伴う本質的な仕事に集中する時間を確保できます。
2. 学習意欲をパーソナライズする
IT業界では、かつての「人月ビジネス」が終焉を迎え、個人の「圧倒的な技術力」が価値の源泉となっています。AIは、個人のスキルレベルや「志」(興味・関心)に基づいた最適な学習パスを提案し、技術を学ぶこと自体の「わくわく感」をサポートします。
3. アイデア創出の壁打ち相手になる
生成AIは、優れたブレインストーミングのパートナーです。自分一人では思いつかないような多様な視点やアイデアを提供してくれます。AIとの対話を通じて思考が刺激され、新しいものを生み出す高揚感(フロー体験)につながります。
4. 「強み」を発見し、自己効力感を高める
AIによる業務データやコミュニケーションパターンの分析は、個人が自覚していなかった「強み」や「貢献」を可視化するのに役立ちます。客観的なフィードバックによって「自分はできる(有能感)」という自己効力感が高まり、さらなるチャレンジへの高揚感が生まれます。
危機感ではなく、高揚感で未来を拓く
将来が予測できない時代において、トップダウンで「危機感」を植え付け、数字で行動を縛る旧来の経営スタイルは限界を迎えています。
必要なのは、現場の多様な個人が「こういうことをやってみよう」「それが楽しくて仕方がない」という高揚感を持ち、自律的に俊敏に行動することです。
経営者の役割は、魅力あるパーパス(志)を示し、AIをよきパートナーとして活用しながら、社員一人ひとりの「高揚感」を引き出す環境をデザインすることにあります。それこそが、予測できない未来を切り拓く唯一の原動力となるのです。
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